埼玉県民のソウルフードとして有名な「山田うどん」唯一の立ち食い店が閉店する。JR南浦和駅東口そばで約32年間愛されて続けてきた「ファミリー食堂山田うどん食堂」南浦和店(さいたま市南区)が、1月20日の営業をもって終了。運営する山田食品産業(本社・埼玉県所沢市)はコロナ禍による売り上げ減少を理由としたが、常連客からは悲痛な声があがった。

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黄色地に赤い「かかしマーク」が目立つ看板の下から、食事を終えて出てくる客は、名残惜しさに溢れていた。店に張り出されている20日限りでの「閉店」の文字。浦和競馬場を来場前に立ち寄った都内在住50代男性常連客は「まじかよ~」と天を仰いだ。「自分にとっては、この店の『たぬきうどん』が験担ぎなんです」と切り出した。「中央競馬で大負けしてお金がなかった時、たぬきうどんを食べたあと、『今日はたぬきうどん食べたから名前にタのつく馬は買わない』と決めて浦和競馬で勝負した。そうしたら万馬券当たったんです。それから必ず食べています」。“タ抜き”馬券は継続していないと言うが「今度から何食べたらいいんだ~」と絶句した。

JR南浦和駅に実家のある20代男性も「帰ってきた時はいつも食べている。今は横浜に住んでいるので山田うどんが懐かしくて」。店舗型もたびたび訪れているが、「この狭さが落ち着くんですよね」と笑った。

同店は1990年(平2)8月に開店した。店舗面積は食事スペース、キッチン含めて約40平方メートル。定員は最大でも5人程度。それでも最盛期には1日当たり、平日で380人、土日祝祭日で480人程度が来店していたが、コロナ禍の影響で20年度の売り上げは前年比で4割減。昨年も客足は回復しなかった。

山田食品産業の江橋丈広営業企画部長は「コロナで売り上げが減ったことが最大の要因」と説明。同場所で次の事業展開を希望する企業が現れたことも理由だった。「個人的には唯一の立ち食い店舗だったので寂しい思いが強い。ネット上でも残念がる声があってありがたい限りです」。最後の土日だった15、16日は店前に列が続くほどだったと言う。この日も別れを惜しむ客が絶えなかった。【鎌田直秀】

◆山田うどん 1935年(昭10)に手打ちうどん専門店として創業。本社は埼玉県所沢市。53年には有限会社山田製麺所設立。62年にシンボルマークの「かかしマーク」を商標登録。65年「山田うどん」1号店が所沢市に開店。同年から学校給食に麺類の提供開始。67年に山田食品産業株式会社に社名変更。ラーメン事業でも73年に「カントリーラーメン」、75年に米ニューヨークに「TARO」をオープン。17年にはJR清瀬駅前に居酒屋風な「県民酒場ダウドン」、21年にタンメン専門店「埼玉タンメン山田太郎」をオープン。18年7月からは屋号を「ファミリー食堂山田うどん食堂」に変更し、現在は社員約2350人、店舗数は埼玉県を中心に160店。バスケットボールBリーグ埼玉ブロンコス、サッカーJリーグ川崎フロンターレのオフィシャルスポンサー。山田裕朗社長。