1日に亡くなったサッカー日本代表の元監督、イビチャ・オシムさんが日本で最初に指揮をとっていた市原(現J2千葉)時代によく通っていた飲食店や鮮魚店の関係者も突然の別れに驚いていた。

1997年にオープンした千葉・市原市のレストラン「ログチャチャ」には当時、姉崎グラウンドでの練習終了後、オシムさんが夕食をとりによく訪れていた。JR五井駅と本拠地にしていたゼットエーオリプリスタジアム(旧市原臨海陸上競技場)、当時のオシムさんの家に近い姉崎グラウンドからともに車で約10分の距離だった。

当時、選手が常連として出入りしており、オシム氏も好んで奥の席に座って大好きなペペロンチーノを注文していた。高石義宣オーナー(76)は「サインをさらりと書いてくれたり気さくな人でした」と話す。

選手専用の食堂に魚介類を納入していた鮮魚「魚道(うおみち)」(閉店)も姉崎グラウンドのそばにあった。選手の食事にも興味を示していたオシム氏は「この魚、おいしいね。店に寄りたい」と来店。練習後に店に顔を出すのが日課になっていたという。

景山満夫店主(79)と一緒に店を切り盛りしていた長女は、オシムさんが来店しても笑顔は見せず、真剣に魚を選んでいたのが印象に残っている。刺身が大好きだったが、マグロのカマを焼いたり、イサキなどの刺し身を軽くあぶったりするなどして渡すと喜んでいたという。長女は「白身が好きでしたね。言葉は通じなかったけど、いつも、白ワインや日本酒にあう魚や刺身を手に、大きな体をすぼめるようにして喜んで帰っていかれたのを記憶しています」と当時をしのんだ。【寺沢卓】