東北高校球界の悲願だった深紅の大優勝旗が「白河の関」をついに越えた。

22日、甲子園球場(兵庫)で行われた第104回全国高校野球選手権大会決勝で、仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8-1で破り、初優勝。白河神社(福島・白河市)敷地内の白河の関跡ではパブリックビューイングが開かれ、周辺住民など約80人が快挙を喜んだ。1915年(大4)第1回大会で秋田中が決勝で敗れてから、東北勢として春3度、夏10度の通算13度目の挑戦。18年金足農(秋田)の決勝では神社施設内で実施したが、初の屋外「白河の関」開催で結実した。

白河市の鈴木和夫市長(72)は「飛行機で仙台に帰ってくるようなのですが、できれば陸路で帰ってきてほしい。白河の関を通ってということで新白河駅で下車してくれたらうれしい」と新幹線での帰郷を懇願。空路ではすでに駒大苫小牧(北海道)が越えていっているだけに-。さらに「白河の関で優勝報告を」と白河でのイベント開催も希望した。高校野球の聖地巡礼スポットとしても「これで白河の関が、国民の方々の脳裏に刻まれたのではないか」と期待。「白河の関を入り口に、東北6県全体に来てほしい」と経済効果も願った。

白河神社の西田重和宮司(74)は「悲願達成に何か役立てることはないか」との思いで、97年から東北の春夏甲子園出場校に優勝祈願の「通行手形」を贈り続けてきた。「長い間、悔しい思いをしてきたので、感無量です。東北の高校生は他人ではなく、知り合いみたいな感じになっている」。過去に、聖光学院(福島)斎藤智也監督が選手を連れて勝利祈願に訪れたこともあり、高野連関係者とのつながりも深い。「育英ナインが白河神社に来てお参りしてくれたら、神様も喜びますねえ」と凱旋(がいせん)参拝も夢見た。

神社本殿は1615年(元和元)に仙台藩初代藩主の伊達政宗が改築奉納したと言われている。その意味でも仙台育英が成し遂げた縁は深い。「育英はもちろん、東北の球児の優勝が続いてほしい。今後も通行手形でほんのちょっとで寄与できれば」。来年もセンバツでの夏春連続「白河越え」も祈る。【鎌田直秀】

◆白河の関 勿来(なこそ)の関(福島県いわき市)、念珠ケ関(現鼠ケ関、山形県鶴岡市)と並ぶ奥羽三古関の1つ。国指定の史跡。都から陸奥国に通じる東山道要衝に設置された関所で、奈良時代から平安時代ごろに、人や物資の往来を取り締まる機能を果たしたと考えられている。関が鎮座する白河神社は、源義経が兄・頼朝の挙兵を知って鎌倉に向かい道中に、勝利を願って祈願したと伝わる。福島県白河市旗宿関ノ森120。隣接する西郷村の国道4号沿いには、福島県警が通行車両などを取り締まる白河検問所があり、「平成版・白河の関」と呼ばれている。

○…白河市に隣接する泉崎村出身の仙台育英・湯田統真投手(2年)の幼なじみ、関根愛子さん(福島・光南高3年)も「白河越えを果たしてくれて誇らしいです」と笑顔を見せた。今大会の愛工大名電(愛知)戦、聖光学院(福島)戦を甲子園で観戦した時に使用した仙台育英タオルマフラーを手に、白河神社のパブリックビューイングで友人と応援。「統真は来年もあるので、ケガなく甲子園で戦ってほしい」と連覇を願った。

▽宮城県の村井嘉浩知事(62)は甲子園で決勝を観戦し、仙台育英の優勝に「7年前に応援に来たときは本当に悔しい思いをして、『私が来たら負けるのでは』といろんな思いがありました。日本一は本当にうれしいですし、選手たちはよく頑張ってくれました」。仙台市の郡和子市長(65)もスタンドで応援し「コロナ禍の中、東北勢の初優勝を達成してくれて、ありがとうと伝えたいです」と選手たちを讃えた。