世界一の巨大ターミナル、東京・新宿駅と周辺一帯が、2040年代に向けて大きく変身しようとしています。「新宿グランドターミナル」という大規模再開発計画がいよいよ本格化。駅、駅前広場、駅ビルなどを一体的に再編していく方針です。新宿駅と周辺の、ここまでの主な歴史を振り返ってみましょう。【久保勇人】

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「新宿」という地名は、江戸時代の1699年(元禄12)にできた宿場「内藤新宿」に由来します。甲州街道の最初の宿場は当初、高井戸でしたが、日本橋から遠いため、高遠藩内藤家の江戸下屋敷(現在の新宿御苑あたり)の一部などに新しい宿場が開設されました。現在の四谷4丁目交差点付近から、甲州街道と青梅街道が分岐した追分(現・伊勢丹新宿店)あたりまで、東西約1キロだったそうです。

新宿歴史博物館などによると、1885年(明18)に日本鉄道品川線の赤羽~品川間(現・山手線などの一部)が開通し、中間駅の1つとして新宿停車場が開業しました。当初、旅客列車は2両編成で1日3往復、乗降客は1日50人ほどだったそうです。現在の新宿駅や西新宿の一帯は明治半ばまで角筈(つのはず)村で、宿場の西のはずれのため寂しい場所でしたが、1889年(明22)に甲武鉄道(現・JR中央線)新宿~立川間も開通。1898年(明31)には現在の副都心あたりに面積34万平方メートル超もの淀橋浄水場が完成。1902年(明35)には現在のコニカミノルタの工場ができ、10年(明43)には現在の西口広場あたりに専売局のたばこ工場が銀座から移転するなどして、乗降客が増加しました。15年(大4)に京王電気軌道(現・京王電鉄)の新宿追分~調布間も開業しました。

新宿の大きな転機の1つとなったのが、23年(大12)の関東大震災とされます。東京の西側は、東側に比べて被害が小さく、近郊に移転する人々が急増。新宿駅は都心への通勤などのターミナルとして飛躍的に発展し始め、31年(昭6)には乗降客数で日本一になりました。25年(大14)~33年(昭8)の間には東口側に、ほてい屋、三越、伊勢丹と百貨店が相次ぎ開店しました。

西口では、27年(昭2)に、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)新宿~小田原間が開業。36年(昭11)にたばこ工場が品川に移転し、50年(昭25)にバスターミナルが整備されました。59年(昭34)には、地下鉄丸ノ内線も新宿に乗り入れました。

60年(昭35)には副都心計画が決定。60年代にはビルの建設ラッシュを迎えます。62年(昭37)に西口初の小田急百貨店(現・ハルク)が開店しました。64年(昭39)には、東口に新宿民衆駅ビル(現・ルミネエスト)が完成。西口では、京王百貨店が開店しました。65年(昭40)には淀橋浄水場が東村山移転で閉鎖され、副都心の開発が本格化。66年(昭41)には、西口立体広場が完成。67年(昭42)には小田急新宿西口駅ビルが完成し、小田急百貨店本館が当時売り場面積日本一として開店しました。71年(昭46)、副都心の超高層ビル1号として京王プラザホテル(地上47階、高さ170メートル)がオープン。現在の姿に変化していきました。