東日本大震災では、東北の豊かな「食」も大きな被害を受けた。仙台市で食品卸、地域商社「かね久」を営む遠藤伸太郎さんは、震災翌年に、「食のみやぎ応援団」を創設。震災当時に受けた支援に何か恩返しをしたいと、地元食材の未来を見据えた挑戦を続けている。

あの日、石巻市の自宅には1階天井まで津波が押し寄せた。住むことができなくなり、家族5人で小学校の体育館に避難した。十分な支援が届かない間は、5人で1食に缶詰1個の時もあった。それでも「食事の時だけはつらさを忘れられる」。そのうちに仙台から食材を運んで避難所で炊き出しを始め、コロッケやかきフライなどを提供した。

おにぎりやパンなどは届き始めるようになっていたが、避難している人にアンケートを取ると、フライや唐揚げなど温かいメニューに加え、地元の味を恋しがる声が多かったという。この時のアンケート用紙は今も大切に保管。「原点」を見直す機会になっている。

食べることの大切さと、宮城の食材の大切さ。当時感じた思いを形にしようと、宮城の食材を使った調理品を扱う自動販売機「東北うまいもの食堂」を開発、昨年4月、仙台市内に設置した。扱うのはフカヒレや牛タン、かき、たこなどを調理、冷凍したもので、仙台市内では1つ500円から買える。災害発生時は商品を無料で提供。近隣住民の非常食の役割も担う。今では東京や北海道なども含めて全国16台に拡大した。今後も増設を計画している。

商品はいずれも規格外品や端材を使った。フードロスを生まないよう、持続可能性を重視する。2021年には、「食のみやぎ応援団SDGs宣言」をした。「震災時に世界から受けたいろいろなご支援に、社会や未来の子どもたち、地球に対する恩返しという形で応えたいと思いました」。賛同企業は当初の23社から、今は60社を超えた。また、東北電力と共同で「東北みらいファクトリー」というプロジェクトも立ち上げた。石巻市で水揚げされる未利用魚「ノロンボ」を使ったフライを開発。今月20日に地元でお披露目する。

復興の過程には、コロナ禍やウクライナ危機も重なった。地元の食材をむだなく使うことは、生産者や工場、地元企業の後押しにもつながる。「どんな小さな会社にもチャンスはある。連携が大事なキーワードだと思っています」。さまざまな取り組みの目的はすべて、東北の経済を元気にするためだと話す。

目指すのは、売り手も買い手も世間も得をするという近江商人の哲学「三方よし」に、「未来」を加えた「四方よし」だ。遠藤さんは「東北は震災で大きなダメージを受けて、マイナスからの出発になった。でもここまで跳ね返して、はい上がったんだという復興のモデルケースを絶対につくりたい」と話す。

震災から12年の月日は「早かった」と振り返った遠藤さん。新しい「宮城の食」のあり方を見据えた挑戦は、これからも続く。【中山知子】