将棋の最年少6冠、藤井聡太竜王(王位・叡王・棋王・王将・棋聖=20)が2日、愛知県岡崎市で行われた「第30回岡崎将棋まつり」にゲストとして出席した。

3日後に開幕する渡辺明名人(38)に挑戦する第81期名人戦7番勝負(5日開幕、ホテル椿山荘東京)に「歴史あるタイトルにふさわしい将棋を指したい」と抱負を語った。

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徳川家康生誕の地の愛知県岡崎市で行われた「将棋まつり」。約900人の観衆の前で藤井が3日後に迫った名人戦7番勝負に「楽しみな気持ちが大きい」と笑顔を見せ、「歴史あるタイトルにふさわしい将棋を指したい」と意気込んだ。

トークショーでは、岡崎をPRする「グレート家康公『葵』武将隊」の赤備えの猛将「井伊直政」から回答ボードを手渡され、家康にまつわる2問の〇×クイズに挑戦した。予想外の難問に「(自信は)全くありません」と苦笑するシーンもあり、場内は笑いに包まれた。その後、佐々木勇気八段との公開対局に臨み、終盤の激しい攻め合い制し、新年度の「初白星」を挙げた。

戦国武将では織田信長が「推し」だが、悲願の天下統一を成し遂げた家康にも興味がある。初挑戦する名人戦の創設には、家康が深く関わったとされている。

将棋や囲碁に深い関心があった家康は将軍職を譲った後、実力者たちを駿府城に招いて御前将棋をさせたという。1612年(慶長17)、当時の第一人者、大橋宗桂(そうけい)に50石の俸禄(ほうろく=給料)を与えて将棋家元と認めた。その後、宗桂は1世名人となり、これが名人制度の始まりと言われている。

「岡崎将棋まつり」には棋士として3度目の登場となった。小学校2年のときには、まつりの竹千代杯子ども将棋大会に出場し、低学年の部で優勝した。17年に棋士として参加したときは四段だったが、約6年ぶりの今回は6冠になり、大きく成長した姿を地元のファンに披露した。

名人誕生から400年以上が過ぎ、数々の将棋界の記録を塗り替え続ける「天才」が家康の生誕地で、名人奪取を誓ったのは偶然だろうか。だれも成し遂げたことがない全8冠に残すは名人と王座のみ。20歳の若武者が「天下統一」へ突き進む。【松浦隆司】