東京の練馬区立中学校長による生徒への性加害、大手学習塾・四谷大塚の元講師による教え子盗撮、ジャニー喜多川元社長による性加害…。子どもの深刻な性被害が相次いで明るみになる中、「日本版DBS」が注目されています。英国の制度を参考にした、子どもと接する仕事に就く人の性犯罪歴を確認する仕組みのことで、政府が導入を目指しています。一刻も早い創設を求める声が高まる一方、どんな仕事や前歴を対象にするのか、現在の法律との関係など課題によっては難題や慎重論もあります。実現への道のりは、多くの難しい判断を迫られ、乗り越えていくものになりそうです。
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子どもを守るための新しいルールをできるだけ早く実行するために、どんな形でスタートすればいいのでしょうか-。日本版DBSは岸田文雄首相が目玉政策の1つに掲げ、こども家庭庁が6~9月に有識者会議を5回開催し報告書をまとめました。この内容をめぐって、さまざまな意見が出ています。自民党では「職種を広げるべき」「一定期間が過ぎた前科が対象にならないならば、過去に性犯罪を犯した人に無犯罪証明を出すようなもの」などの意見が相次ぎました。
政府はこの臨時国会への法案提出を目指していましたが見送り、加藤鮎子こども政策担当相は「次期通常国会以降の、できるだけ早いタイミングで提出していく」「大事な法案。深く検討していきたい」などと話しています。
議論の焦点は主に3つあります。まず<1>性犯罪歴の確認を義務とする事業者の範囲。報告書は法律で認可を受けている学校や児童福祉施設などは法律上直接義務づけることとし、学習塾、習い事などは事業者の範囲が不明確であるなどの理由から、認定制度を設け、認定を受けた事業者に義務づけることを提案しました。こども家庭庁の担当者は「塾は現状定義がなく形態もさまざま。業規制が及ばないような分野の事業者についても制度の対象に含めることができるようにするために、認定制度を設けることが適当とされたもの」と説明しています。
長くDBS導入を訴えてきた子育て支援の認定NPO法人「フローレンス」の赤坂緑代表理事は報告書の内容は不十分とし「例えば塾の選択肢がない地域もある。知識が十分でない親が認定を受けていない塾を選ぶ可能性もある。ベビーシッターなども含め、段階的にでも義務化を広げて抜け道がない制度にしてほしい」と要望。性被害者らの団体「Spring」は有識者会議への要望書で、義務化の対象事業・職種について「18歳未満の児童に1日1時間以上、接する者」などの基準を提示。田所由羽共同代表は「認定していないところに性加害者が流れる可能性」も指摘します。教育行政学などが専門の日本大・末冨芳教授は「一足飛びにすべてを義務化にするのは無理だと思うが、認定制度の対象を習い事、ボランティア、キャンプなどの体験活動といったところまで可能な限り広げるべき」としています。
芸能事務所については、いずれも「報告書の適用要件=支配性、継続性、閉鎖性にあてはまると思われるため適用すべき」(末冨さん)などと、義務化を主張しています。
次に<2>確認対象とする性犯罪歴について。報告書は起訴有罪の性犯罪前科を対象とし、盗撮や痴漢の一部も含むとしました。各自治体ごとに制定する条例違反や、行政処分は内容などにばらつきもあるためさらに検討が必要とし、示談などによる不起訴処分(起訴猶予)などについては裁判所の事実認定を受けていないため「慎重であるべき」としました。前科をどのくらいの期間、確認の対象とするのかについては、刑法を踏まえて「一定の上限を設ける」としています。こども家庭庁担当者は「不起訴にはさまざまなケースがあり、一律に対象にするには難しい問題がある。更生の機会などの考え方や憲法、刑法などとのバランスも難しい」と説明します。
末冨さんは「起訴有罪だけでは抑止効果がない。再犯のリスクのある人はすべて対象とすべき。DBSには再犯防止の効果もあり、犯罪者の利益を守ることにもなる」と指摘します。示談についても「裁判などに耐えられず、泣く泣く示談に応じている被害者が多い」と強調し、対象に含めることを検討すべきと主張。確認期間については「安易に犯歴の消去が行われるべきではない。再犯を繰り返さないという治癒証明があれば、前科を消せるという仕組みにすればいいのでは」と提案します。
田所さんも「小児性犯罪は常習性があり、依存症と指摘されることもある。治療や更生の確認の仕組みも十分でない。どれだけ時間が経過しても、加害しないという保証はない」と主張。この課題は更生の機会や職業選択の自由との関係も論議になっていますが、赤坂さんは「この場合は職業選択の自由より、子どもの安全に重きを置くべき。社会から排除するわけではなく、更生の意味でも、子どもに近い職業を選ばせないほうがいいと思う」と話します。
<3>運用。報告書は確認方法について、事業者が本人の同意を得ることを条件とするなど、本人が手続に関与する仕組みとした上で確認を申請し、その確認の結果について事業者が回答を得ることを想定しています。田所さんは「事業者が個人の犯罪歴を把握するのは問題。働きたい人が“犯罪歴がない”という証明を取る仕組みのほうがいい」と主張します。報告書は既に働いている人も、数年ごとに確認する必要にも言及しました。
DBSは、性犯罪歴がない者による初犯の防止は期待できません。報告書は「その他の措置も取り組む必要がある」と強調しています。末冨さんは「教員実習の段階でDBSの確認をかければ、チェックを受けるという自覚が生まれるのではないか。性教育では加害予防のプログラムももっと入れないと」と指摘。赤坂さんは「現場では、子どもと2人きりにならないようにする、カメラ設置などの環境づくりに加え、子どもの権利を守ることを大人が学ぶことも大切。触られて嫌だと思ったら嫌と言ってもいいなど、子どもに、自分の心と体を守る教育も大事で、同時にやっていかなければ」と訴えます。
さまざまな難問をどう判断し、いかに実効性のある仕組みをつくるのか。こども家庭庁担当者は「報告書が出て、さまざまなご意見をいただきながら丁寧に検討を進めていく段階。ご意見を踏まえながら、早急に制度設計を固めていきたい」と話し、法案づくりの難しさがうかがえました。【久保勇人】