来年2月末に定年を迎える橋田満調教師(69)の連載コラム「競馬は推理 だから面白い」第3回は、98年の宝塚記念を制したサイレンススズカについて思いをつづる。悲運の快速馬と目指していたゴールは、優れたスピードを持続できる“究極の種牡馬”だった。

  ◇  ◇  ◇

サイレンススズカについては今でも「たとえ1年でも種付けができていたら…」と考えます。競馬の使命は種(しゅ)を改良していくこと。その血を残せなかったのは日本の競馬史にとっても大きな損失だと思います。

お母さんのワキアは、稲原牧場の先代の稲原一美さんに依頼され、米国で購入した馬でした。現役のまま売りに出ていて、スピードがあり血統の構成も体も良かったです。稲原牧場の所有となった後も現地で走ってリステッドを勝ちました。のちに弟のベニーザディップが英国のダービーを勝ったので、その後だったら10倍ぐらいの値段になっていたかもしれません。

生後間もなく見た時は小ぶりで素軽く、鹿のような子でした。成長を待って2歳の11月に栗東へ入厩させると、みんなが「普通じゃない」と思う走りを見せました。調教では追わずにすごい時計が出て、坂路から下りてくる時にはもう息が戻っています。そんな馬は見たことがなかったです。

普段はおとなしくかわいい馬でした。取材のリポーターの方にも「なでても大丈夫ですよ」と言っていたぐらいです。気性が荒いと思われ、なかなか信用されませんでしたが(笑い)。

それがレースになると緊張で高ぶる面がありました。2戦目の弥生賞の時には発走前にゲートをくぐって外へ出てしまいました。あの時は(担当厩務員の)加茂さんがぎりぎりまでゲートの中で一緒にいて、離れた時について行こうとしたのではないかと思います。小さい馬とはいえ、あの狭い隙間をくぐり抜ける体の柔らかさには驚きました。

3歳春はダービーへ向けて控える競馬もさせましたが、なかなかうまくいかず、秋は勝つことができませんでした。そんな中で、ためて逃げるのではなく、気持ち良く走らせて本来のスピードを発揮した方が良さを引き出せることが分かってきました。古馬になると体に幅が出て体重も増え、連勝が始まりました。

一方で、馬房での旋回癖は続いていました。緊張すると左へぐるぐる回り始めます。畳やタイヤをつるしても、体が柔らかく小さいので、馬房の半分のスペースでも回っていました。

最もひどかったのが毎日王冠の時です。レース前日の夕方に加茂さんから「馬房で回って止まりません」と電話がありました。急いで駆けつけると、レース後のように汗びっしょりでした。洗い場につないだり、引き運動をしたりして、やっと落ち着きました。あの時は無敗のエルコンドルパサーやグラスワンダーが相手でしたが、こちらも連勝中で負けられませんでした。「大丈夫かな」と心配したものです。

私たちが目指していたのは「優れたスピードを持続できる種牡馬」でした。近代競馬で求められるスピードをどこまで持続できるか? マイルまではできても、2000メートルとなると難しくなります。それができれば種牡馬として最高です。その資質を証明するレースとして天皇賞・秋を設定し、最大の目標としていました。その後は米国遠征やジャパンCも視野には入れていましたが、はっきりとは決めずに「天皇賞が終わってから考えよう」という方針でした。

出来は生涯最高だったと思います。毛が細いので栗毛が金色のように光って、すごくきれいでした。なでてもビロードみたいな手触りでした。この時はもはやチーターやグレーハウンドに近い走りになっていました。左右の脚がほとんど時間差なく着地するような感じで、正面から見ると右手前と左手前の体の向きの差が限りなく小さくなっていました。体幹や筋肉がしっかりしてきて、本当に一直線上を走れていました。

武君は以前に「前半を58秒で行って後半も58秒で行ければ」と話していましたが、まさにそんなレースを目指しました。いつものペースで逃げて前半は57秒4。いい走りに見えました。

双眼鏡で見ていて、故障した瞬間はすぐ分かりました。左前脚の手根骨の粉砕骨折で普通なら落馬するけがなのに、よく転ばずに持ちこたえてくれたと思います。「せめて種牡馬として…」と願いましたが、獣医さんとも話して無理だと分かりました。「どんな勝ち方をするか」と期待していたのが一転して予後不良になり、言葉が見当たりませんでした。永井オーナーも武君も加茂さんも、誰もがつらかったと思います。原因は分かりませんが、筋肉の伸縮が強すぎて骨が耐えかねたのかもしれません。

最近では「ウマ娘」のおかげで、あらためて注目されていると聞きました。稲原牧場にあるお墓には、誕生日や命日などにお参りされる方も多いそうです。今なお、たくさんの方々に彼のことを知っていただけるのは本当にありがたいことです。(JRA調教師)

◆サイレンススズカ 1994年5月1日、稲原牧場(北海道平取町)生産。父サンデーサイレンス、母ワキア。牡、栗毛。馬主は永井啓弐氏。通算成績は16戦9勝(重賞5勝、G1・1勝)。3歳時はプリンシパルSを制し、ダービーでは9着。4歳初戦からは6連勝の快進撃で、金鯱賞はレコードで大差勝ち。天皇賞・秋では単勝1・2倍に推されたが、4角で競走を中止して安楽死となった。