来年2月末に定年を迎える橋田満調教師(69)の連載コラム「競馬は推理 だから面白い」第6回は、G1・2勝馬アドマイヤコジーンを題材に、馬づくりの面白さを解説する。

配合から競走馬キャリア、そして種牡馬実績に至るまで、競馬の醍醐味(だいごみ)に満ちあふれた生涯だった。

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今回はサラブレッドの歴史の中の1コマ、1頭の馬が生まれ育っていく話をしましょう。まず初めが配合で、繁殖牝馬に交配する種牡馬を選びます。そして生まれた子供に調教を加え、競走馬にします。その中からレースで結果を残した馬が、残すべき血筋として種牡馬や繁殖牝馬になり、次の世代を生みます。こうして次の世代、その次の世代へと進化していくところに競馬の一番の面白さがあります。その実例としてアドマイヤコジーンを題材に見ていきましょう。

お母さんのアドマイヤマカディはすごく小さい馬で体質も弱くてデビューがかないませんでした。一方で、母が英1000ギニーの勝ち馬ミセスマカディー、父がノーザンテーストという良質の血統が魅力でした。当時の種牡馬はサンデーサイレンス(SS)が人気でしたが、近藤オーナーはすでに産駒をたくさん所有しておられました。そこで、SSの種付け料1500万円と同じ予算で、外国へ行って種付けするのはどうかという提案をしました。

輸送費が往復600万円ぐらいで関税も300万円以上かかるため、残りの500万円余りが種付けの予算でした。その中から選んだのが米国のコジーンです。私は配合を考える時には9代前まで血統をさかのぼります。タフで父系に日本への親和性があり、母の体質からなるべく近親配合を避ける狙いもありました。

セールなどで馬を買った方が手間はかからず、配合から考えるとなれば不確定要素が増えます。それで結果を出すのは針の穴を通すようなものですが、アドマイヤコジーンは順調にデビューできた上に、2戦目から3連勝で朝日杯3歳S(当時)を制しました。配合から携わってきただけに、喜びは大きかったです。

しかし、翌年初めに右後肢の第1趾骨(しこつ)を骨折してしまい、2本のボルトを入れる手術を受けました。温泉療養中に左後肢の種子骨も骨折し、復帰までに1年半もかかりました。しかも復帰後は、途中でやめてしまうような競馬が続きました。けがの記憶が残っているのか、気を使っているのか…。集中力を保たせようと短距離へシフトしてみても、故障前のようには走ってくれません。

そこで5歳の夏から半年ほど休ませて立て直しました。すると、前向きさが戻ってきて最後までやめずに走るようになりました。それが安田記念での勝利につながったのです。3年半ぶりのG1制覇は最長記録で、ボルトが入った馬のG1勝利も初めてと聞きました。手綱をとった後藤君にとっては初めてのG1で、馬上でオイオイ泣いていました。よほどうれしかったのでしょう。人馬ともに、長い道のりを経てつかんだ勝利でした。あきらめずにやってきて、よくぞ復活してくれたと思います。

種牡馬としては2頭のG1馬を出しました。どちらも、自身は2着だったスプリンターズSを勝ちました。父コジーンの産駒はオールマイティーで2400メートルまでこなしていましたから、これは予想外でした。血の不思議というものでしょう。さまざまな面で、競馬の面白さが詰まった1頭でした。(JRA調教師)

◆アドマイヤコジーン 1996年4月8日、大樹ファーム(北海道大樹町)生産。父コジーン、母アドマイヤマカディ。牡、芦毛。馬主は近藤利一氏。通算成績は23戦6勝(うち海外1戦0勝)、重賞5勝、G1・2勝。02年に引退して種牡馬入り。産駒のアストンマーチャンとスノードラゴンがG1を制した。17年6月に21歳で急死した。