3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)が、サウジアラビアで最終騎乗を終えた。25日のサウジ国際競走2鞍に騎乗し、サウジダービーはエコロアレスで12着。リヤドダートスプリントのリメイクは3着だった。27年の騎手生活に幕を下ろした名手を秘蔵写真とコメントで振り返ります。

93年4月5日 競馬学校入学式

「騎手を目指してこれから3年間、くじけずに頑張っていきます」

92年12月、競馬学校合格の福永祐一騎手と母・有見子さん
92年12月、競馬学校合格の福永祐一騎手と母・有見子さん

96年2月15日 騎手試験合格

「父が乗ってダメな馬はダメだ、と言われたとも聞いています。そんな騎手になりたい」

96年2月、騎手免許に合格し肩を組む、左から和田竜二騎手、古川吉洋騎手、細江純子騎手、福永祐一騎手、常石勝義騎手、高橋亮騎手
96年2月、騎手免許に合格し肩を組む、左から和田竜二騎手、古川吉洋騎手、細江純子騎手、福永祐一騎手、常石勝義騎手、高橋亮騎手

96年3月2日 中京で騎手デビュー2連勝を飾る

「父は一生追い続ける存在。自分の中ではまだ遠くて姿さえ見えていません」

96年3月、マルブツブレベストで初勝利を挙げた福永祐一騎手
96年3月、マルブツブレベストで初勝利を挙げた福永祐一騎手

97年1月15日 成人式当日に勝利

「式には出られなかったけど勝てたから良かったです。充実した1年にしたい」

97年1月、ニッカン3賞を受賞した福永祐一騎手(左)と武豊騎手
97年1月、ニッカン3賞を受賞した福永祐一騎手(左)と武豊騎手

98年6月7日 ダービー初騎乗は逃げて14着(キングヘイロー)

「抑えていったんです。逃げる気はなかった。でも、そのままハナに立ってしまった」

98年6月、2番人気のキングヘイローで14着と惨敗し、検量室でぼうぜんとする福永騎手
98年6月、2番人気のキングヘイローで14着と惨敗し、検量室でぼうぜんとする福永騎手

99年4月11日 プリモディーネでG1(桜花賞)初制覇

「クラシック。信じられません。父と母、そして師匠(北橋師)に報告したい」

99年4月、桜花賞をプリモディーネで勝ち、G1初制覇を果たした福永祐一騎手
99年4月、桜花賞をプリモディーネで勝ち、G1初制覇を果たした福永祐一騎手

01年12月16日 香港マイルで海外G1初V(エイシンプレストン)

「オーナーが『リラックスして乗ればいい』と言ってくださって落ち着けた」

01年12月、香港マイルを制したエイシンプレストンと福永祐一騎手
01年12月、香港マイルを制したエイシンプレストンと福永祐一騎手

05年7月3日 シーザリオでアメリカンオークスV

「(日本馬初の米G1制覇に)これからどんどん出てくる(海外挑戦の)道しるべになればうれしい」

05年7月、アメリカンオークスを制し写真に納まるシーザリオと福永騎手
05年7月、アメリカンオークスを制し写真に納まるシーザリオと福永騎手

07年11月29日 宝塚警察署で初の一日署長

07年11月、初の一日警察署長を務めた福永祐一騎手は、パトカーの前で格好良く敬礼のポーズ
07年11月、初の一日警察署長を務めた福永祐一騎手は、パトカーの前で格好良く敬礼のポーズ

08年9月27日 父洋一さんに並ぶ通算983勝目

「福永洋一の息子でなければ、騎手の道を選んでいませんでした。その背中をずっと追いかけてきましたが、勝ち星が並んだからといって胸を張ることはできません。乗れば乗るほどオヤジの存在は遠くなる。一生超えられない」

08年9月、神妙な表情でインタビューに応える福永祐一騎手
08年9月、神妙な表情でインタビューに応える福永祐一騎手

08年9月28日 父洋一さんを超える通算984勝目

「これからはオヤジが体験していないところ。1頭1頭大切に乗って、オヤジが果たせなかったことに向かっていきたい」

08年9月、親父超えのJRA通算984勝目を飾った福永祐一騎手はファンの声援にサインでこたえた
08年9月、親父超えのJRA通算984勝目を飾った福永祐一騎手はファンの声援にサインでこたえた

11年12月25日 JRA年間133勝で初の全国リーディング

「当初から全国リーディングは目標にしていた。達成できて良かった」

12年1月、最多勝利騎手賞の表彰を受けた岩田康誠騎手(左)と最高勝率騎手の表彰を受けた福永祐一騎手
12年1月、最多勝利騎手賞の表彰を受けた岩田康誠騎手(左)と最高勝率騎手の表彰を受けた福永祐一騎手

13年3月26日 フジテレビ松尾翠アナとの結婚を発表

「騎手という職業ゆえに心配を掛けることも多いでしょうが、そばにいてくれることで、より競馬に集中できる環境になっていくと思います」

13年12月、披露宴を行った福永祐一騎手(右)とフリーアナウンサーの松尾翠。後方はドレスの裾を持つ和田竜二騎手
13年12月、披露宴を行った福永祐一騎手(右)とフリーアナウンサーの松尾翠。後方はドレスの裾を持つ和田竜二騎手

13年10月20日 エピファネイアで菊花賞制覇、牡馬クラシック初V

「春の結果はもう取り返しのつかないこと。それなのに、またチャンスをくれた。どんな乗り方でも勝たなければいけない思いだった」

13年10月、エピファネイアで菊花賞を制して握手を交わす福永祐一騎手(左)と角居勝彦師
13年10月、エピファネイアで菊花賞を制して握手を交わす福永祐一騎手(左)と角居勝彦師

17年7月15日 デビューの地・中京で通算2000勝を達成

「中京でデビューしたし特別に思い入れの強い場所。この場で達成できて良かった。当初は想像もしなかった数字。偉大な父親の名の下でデビューして思ったより才能に恵まれなかったけど師匠の北橋先生が一人前にしてくれた」

17年7月、JRA通算2000勝を達成し笑顔を見せる福永祐一騎手。ボードを掲げるのは川田騎手
17年7月、JRA通算2000勝を達成し笑顔を見せる福永祐一騎手。ボードを掲げるのは川田騎手

18年5月27日 19度目のダービー、ワグネリアンで悲願の初制覇

「オヤジがこの景色を見たかったんだと思うと…。目に焼き付けました。前の2頭をなかなか捕まえられなくて、最後は無我夢中で追いました。新人騎手のように。気合だけでした。正直現役でいる間は勝つことが難しいと思った。いつになるか分からないけど、調教師になって勝つしかないと思ったこともある。でも、強くない自分を叱咤激励してくれる人がいる。騎手になって初めて緊張したのがキングヘイローのダービー。無力感を感じたのはエピファネイア。今日は経験したことのない充実感を与えてくれた。キングヘイローの坂口正大先生には、今週頑張ってな、と声を掛けてもらいました。いい報告ができる。オヤジの名前でこの世界に入ってきた。福永洋一の子どもとして、誇れる仕事ができました」

18年5月、ワグネリアンで日本ダービー初制覇を果たしガッツポーズする福永祐一騎手
18年5月、ワグネリアンで日本ダービー初制覇を果たしガッツポーズする福永祐一騎手

19年3月24日 高松宮記念をミスターメロディで制覇、藤原英師の管理馬で初G1勝利

「このタイミングだったので(キングヘイローが)後押ししてくれたのかな。僕にとっては大きな糧をくれた馬だけど、お返しができなかったから。この厩舎(藤原英)でG1を勝たないとと思ったし、大きなチャンスだった」

19年3月、高松宮記念を制したミスターメロディをねぎらう鞍上の福永祐一騎手
19年3月、高松宮記念を制したミスターメロディをねぎらう鞍上の福永祐一騎手

20年4月19日 コントレイルで皐月賞初制覇

「ペース次第では2、3番手と思っていたので想定外。(12番手だった)2コーナーで大変なレースになったな、と思った。ただ、ああなった以上、できることは馬を信じることだけ。ひたすら信じる。慌てるのが一番やってはいけないこと」

20年4月、コントレイルで皐月賞を制した福永祐一騎手(左)と矢作芳人師はガッツポーズ
20年4月、コントレイルで皐月賞を制した福永祐一騎手(左)と矢作芳人師はガッツポーズ

20年5月31日 戦後初の無観客ダービーをコントレイルで制覇

「(無人のスタンドへ馬上から頭を下げ)画面越しにたくさんの人に見てもらっている。こういう状況の中で競馬をさせてもらっている感謝の思いを表したかった。いい感じに横隔膜がひくつくような、適度な緊張感でした。(ダービーを)1度制しているのは大きかったと思う。ダービーだけで様々な経験もした。自分の血となり骨となり、今をつくっている。(コントレイルと)巡り会えて誇りに思っている。この馬がどこまで行くのか、僕自身が楽しみにしている」

20年5月、ダービーを制したコントレイルと福永祐一騎手は、ウイニングランで無観客のスタンドに向い礼
20年5月、ダービーを制したコントレイルと福永祐一騎手は、ウイニングランで無観客のスタンドに向い礼

20年10月25日 コントレイルで菊花賞を制し史上3頭目の無敗3冠

「改めて本当にすごい馬だと思う。天からの授かりものです。最後まで死力を尽くした。本当に立派な走りだった。正直うまく乗れなかった。コントレイルの底力で勝たせてもらったと思う。大一番でこのような馬に乗れてもちろんプレッシャーはあったけど、幸せな気持ちの方が大きかった。騎手生活を続ける中で父子2代の無敗の3冠がかかるレースに乗れて、幸福感でいっぱいだった。(父洋一さんについて)福永洋一の息子としてこの世界に入った以上、父がかなえられなかった思いを代わりに果たすことができれば、少しは親孝行になるのかなと思う」

20年10月、菊花賞のウイニングランで3冠アピールするコントレイル鞍上の福永祐一騎手
20年10月、菊花賞のウイニングランで3冠アピールするコントレイル鞍上の福永祐一騎手

21年5月30日 シャフリヤールで史上3人目のダービー連覇を達成

「取りたいポジションを取って、でもペースが遅くなって、内で動くに動けなくなった。向正面からは脚を極限までためよう、と。前が止まってくれたわけじゃなく、この馬が素晴らしい瞬発力を使ってくれた。冷静と情熱の間というか…。紙一重。運が左右したかもしれませんし、最後は競馬の神様がどちらにほほ笑むかという素晴らしい競馬だったと思う。お世話になっている藤原英厩舎で、みんなでダービーを勝つことを目標にしてきた。一緒に作り上げてきた結晶。ホースマン冥利に尽きる」

21年5月、シャフリヤールでダービーを制して拳を合わせる福永祐一騎手(左)と藤原英昭師
21年5月、シャフリヤールでダービーを制して拳を合わせる福永祐一騎手(左)と藤原英昭師

21年9月26日 史上5人目の通算2500勝

「馬たちが頑張ってくれたおかげです。2500という数字に関しては北橋先生と瀬戸口先生が、自分の礎を築いてくださった。そのおかげで今、非常にいい環境の中で騎手を続けていられると思う」

21年9月、JRA通算2500勝を達成しルメール騎手(左)から祝福され笑顔の福永祐一騎手
21年9月、JRA通算2500勝を達成しルメール騎手(左)から祝福され笑顔の福永祐一騎手

22年12月8日 調教師試験に合格、23年2月末で騎手引退を表明

「騎手という最高の仕事を続けられている中で、それでももっとやりたいことが見つかった。騎手が楽しいという気持ちが下がったことはないです。むしろ上がっていく中で、調教師になりたいという気持ちが上回りました」

22年12月、福永祐一騎手は張り出された調教師免許合格者一覧の自分の名前を指さす
22年12月、福永祐一騎手は張り出された調教師免許合格者一覧の自分の名前を指さす

23年1月31日 JRA理事長特別表彰

「昨年はコントレイルをはじめ、自分が乗っていた馬が多く引退する中でG1を2つ勝つことができ年間100勝も挙げられた。充実した1年でした」

23年1月、理事長特別表彰セレモニーで後藤JRA理事長(右)から記念のパネルを贈呈される福永祐一騎手
23年1月、理事長特別表彰セレモニーで後藤JRA理事長(右)から記念のパネルを贈呈される福永祐一騎手

23年2月19日 国内最終騎乗を終え

「自分が今日という日を迎えてどういう気持ちでいるのかというのは、自分自身も興味深く、心の中から湧き上がってくる気持ちを見ていました。悔い、後悔というのは先ほどのレースでもありますし、後悔は尽きなかったですけど、未練は1つもありませんでした。満足する結果というのはどこまでいっても残すことはできないのかなと思うんですけど、自分が未練なく騎手という仕事を終えられるということに、自分はやりきったのかな、と。騎手という仕事を味わい尽くせたのかな、と感じています。僕は父が騎手ということもありましてこの世界に足を踏み入れましたけど、(師匠の)北橋先生をはじめとする方々にここまで育てていただきました。そして、自分には過ぎた勝ち鞍を挙げることができました。何より27年間、1度もこの騎手という仕事が嫌だなと思わずにここまでこられたのは、本当に日本の競馬を支えてくださっているファンのおかげだと心から思います。日本の競馬をいつも盛り上げていただいて、本当にありがとうございます。自分は次のステージ、調教師という仕事に進みますが、多くの方々に応援していただけるような馬をつくっていって、後ろに並んでくれているジョッキーとともに、また競馬を盛り上げていけたらと思っています」

JRA最終騎乗後インタビューで、あいさつする福永騎手(撮影・柴田隆二)
JRA最終騎乗後インタビューで、あいさつする福永騎手(撮影・柴田隆二)

23年2月25日 サウジアラビアで最終騎乗

「騎手を無事に務めあげることが、親に対する最大の親孝行だと思っていました。長い間ずっと親には心配をかけ続けて、ずっと親不孝をしてきたのでね。いろいろけがもあったけど、こうやって健康な状態で騎手を終えることができたのは、親に対していい報告というか、肩の荷をおろさせてあげることができたのかなという思いはあります。妻も含めて毎週末は心配をかけていましたから。長らく苦労をかけたなと思います」

騎手生活最後の2鞍を終えた福永祐一騎手
騎手生活最後の2鞍を終えた福永祐一騎手