連載「ジョッキー福永祐一と私」。師匠の北橋修二JRA元調教師(87)の「手記」後編をお届けします。

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デビュー当初から、祐一は他と感覚が違うなと感じてました。3年目の京都新聞杯(98年)の時やったかな。祐一のキングヘイロー(首差2着)がスペシャルウィークに負けたんです。4コーナーで祐一が先頭でね。こんなこと言ったらだめだけど、外からスペシャルウィークが迫ってきてたから「ちょっと外に振っていれば、勝ってたのに」と言ったんです。そしたらね、祐一は「これから競馬界を背負って代表馬になる馬を、もしけがでもさせたら日本競馬界の大きな損失でしょ」と言うわけです。3年目でそんなことを言うんですよ。その言葉を聞いたときはね、わしももっと勉強せなあかんなと。これでは育てられんと思いました。

印のついている馬で負けても、騎乗停止になっても、怒りはしなかったです。出遅れたりした時はゴール後すぐオーナーに「すみません」して。祐一には「出遅れたから(負けた)」とかは、1回も言ったことがありません。他の調教師から「なんで言わんの」とか言われたよ。けど、言ったって仕方ないし。プロだから当然だけど、言わなくても祐一は(反省して)努力する。自分なりに馬とコミュニケーションをとったり、人の分からないところで努力してね。そうやって自ら前に進んで行かなきゃだめですから。

なかなかダービーを勝てなくて、苦労した時も知っています。何年も苦しい時はあったと思います。わしが定年になってから17年たつけど、競馬が終わった月曜日、必ず9時半くらいに電話で、競馬の振り返りとか「何もないか、変わりないか」とか話をしてたんでね。しばらく会わなくてもわかるんです。うちは子どもが2人いるけど、3人目の息子みたいなものですから。認めてもらえるようになったと感じたのはワグネリアンで(18年)ダービーを勝った時じゃないですか。あの時はうれしかったですし、初めてほめたと思います(笑い)。

祐一が騎手を引退して調教師になりたいと聞いた時、驚きはしませんでした。ジョッキーになって何年もたたないうちから「調教師になりたい」と言ってましたんでね。周りの人は「どうかな。受かるかな」と言っとったけど、わしはね、絶対受かるって信じとったよ。調教師になって馬に深く関わりたい。自分で馬を育てたいと思ったんだと思います。

今は昔とは違いますからね。調教師に関しては(騎手時代同様に)何も言うことはないです。わしが祐一を見習って、今の競馬を勉強していかなあかんね(笑い)。また、一緒に馬を(牧場に)見に行ったりできるように、足腰を鍛えて、元気でいないとね。それよりもまだ(騎手として)競馬がありますから。まずは無事に。ちゃんと終わってくれればと思っています。(おわり)

【取材・構成=藤本真育】