史上初の牝馬3冠馬メジロラモーヌなどを管理したJRAの奥平真治元調教師が、病気療養中のところ10日に亡くなった。86歳だった。12日、日本調教師会が発表した。

 

<悼む>

美浦トレセン北馬場スタンドの自席で、いつもおうように構えていた。「どうだ、いい馬だろう?」。入厩したばかりの若駒を指さし、悦に入る姿が思い出される。奥平厩舎は家族のように仲が良く、明るく活気にあふれていた。勝った時は必ず厩舎でバーベキューなどで勝ち祝いをして、結束が強かった。スタッフの考えや自主性も重んじた。後に退職して育成場ミッドウェイファームを立ち上げた宮崎利男厩務員には、調教メニューやローテーションまで任せたほどだった。

“雨のラファール”に始まり、多くの個性派を育てた。メジロラモーヌで86年牝馬3冠。ダービーは88~91年の4年間で実に3度の2着がありながら、縁がなかった。88年メジロアルダン、90年メジロライアン、91年レオダーバン。

メジロライアンで共に悔しい思いをした横山典弘騎手にとっては、伯父にあたる間柄。おいが09年にロジユニヴァースでダービーを初制覇した時、こんな言葉を贈っている。メジロライアンのダービーから19年がたっていた。

 

ノリ、本当におめでとう。検量室に戻ってきて、真っ先におれと握手してくれた。おまえの肩をたたけた時は、うれしかったよ。息子に見せられたことも良かったよな。メジロライアンのダービーは、もう20年も前のことになるんだな。逃げたアイネスフウジンを追い込んだが、届かなかった。ノリもおれも、みんな勝つために一生懸命だった。だから、負けはしたが、怒るなんて考えもしなかった。あの時はまだお互いに若かった。負けはしたが、時期が来ればダービーは勝てる。そう思っていたんだ。そしたら、あれよあれよという間に、ノリもとうとう40を過ぎて。こういうのは運もある。そしたら、今年の皐月賞は1番人気の馬に乗った。でも、結果があんなふうになって、大きく負けてしまった。皐月賞の後、東京競馬場で会った時に言ってたよな。「あれから、サッパリ勝てない」って。おまえの競馬は見ているよ。「あれから」って皐月賞だったんだろ? おれが「気を楽にしろ。カッカするなよ」って言ったら、「カッカなんてしてねえよ」って言ってたけど。おれが言ったことがどうこうではなく、今回は気を楽にして臨めたのかもしれないな。おれには、順番が回って来なかった。でも、ノリには回ってきた。最も、1着を取りたいレース。おれも本当にうれしい。ノリ、本当におめでとう。

 

この時は既に引退されていて、少し離れたところから見守っていた。紙面に載ったこのコメントを、横山典は喜んでくれた。

名門トウショウ牧場やメジロ牧場からたくさんの素質馬、良血馬が入ってきたのは、相馬眼はもちろん、その人情味によるところも大きかったのではないだろうか。【岡山俊明】