ゴールドシップなどの名馬を担当した今浪隆利元厩務員(64)が、夢いっぱいの競馬人生を振り返る、手記連載「今なお夢の中」(全5回)第4回。

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僕は小倉競馬場の近くで生まれ育ちました。土日には親に連れられて競馬を見に行きましたし、おじが厩務員をしていたので厩舎へ入らせてもらったこともあります。中学生の頃には、先生にも「馬関係の仕事がしたい」と言ってました。

それでも、この世界に入ったのは本当に突然でした。親戚の知り合いが名古屋競馬場で働いていて、高校1年の夏休みに「遊びに来ないか」と誘われ、泊まり込みで行ったのがきっかけです。馬に乗れるのがうれしくて、いつの間にか見習騎手のように調教をつけ始め、そのうち「一生働いてもいいかな」と思うようになりました。それで決心がついて、父親に電話で「高校をやめる。ずっとここにおるわ」と伝えました。

まだ真っ暗な午前2時、3時から乗るのもざらで、やっぱり朝はつらかったです。それでも続けられたのは、馬に乗るのが楽しかったからです。身長の問題がなければ、騎手になりたい気持ちもありました。しかし、僕の若気の至りもあって、2年ぐらいでやめることになってしまいました。

その後は北海道の優駿牧場で働きました。お産から育成まで全部を手伝わせてもらい、本当に勉強になりました。繁殖牝馬の種付けの時に、その子供を押さえているのが大変だったとか、40年以上が過ぎた今でもよく覚えています。

競走馬は牧場で全部を教え込まれてからトレセンへやってきます。逆に基本ができてないと、それを直すのには時間がかかります。馬は怖がりなので、初めてのことを教えるのは一番大変でつらいです。僕も牧場で乗っている時に落馬して、首の骨にひびが入り、1カ月ぐらい入院しました。コルセットをして、最初の1週間は横を向くこともできませんでした。

栗東で厩務員になるまでの1年3カ月ぐらいの間でしたが、いい経験をさせてもらいました。ここで学んだことが、その後に生きたと思います。トレセンへ入ってからも「牧場に感謝しないといけない」という気持ちはずっと心にありました。

※次回は23日(水)最終回

◆今浪隆利(いまなみ・たかとし)1958年(昭33)9月20日、福岡県北九州市生まれ。15歳で高校を中退して名古屋競馬の騎手候補生に。牧場勤務を経て栗東で厩務員。内藤繁春厩舎、中尾正厩舎、09年から須貝厩舎。ゴールドシップ、レッドリヴェール、ソダシでJRA・G1計10勝。

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