イクイノックスの完勝で幕を閉じた26日東京のジャパンC(G1、芝2400メートル)。兵庫競馬からの参戦で話題を呼んだチェスナットコート(牡9、田中一)にとっては、この大舞台が引退レースだった。結果は17着に終わったが、その舞台裏ではさまざまなドラマがあった。

  ◇  ◇  ◇

レース前日の25日午前、園田競馬場を意気揚々と出発したチェスナットコートに思わぬ一報が届いた。鞍上を務めるはずだった兵庫・田中学騎手が、腰痛のため乗れなくなった。田中一巧調教師は「おやじ(田中範雄調教師)の代からお世話になっている騎手。こういう形でしか恩返しができないから」と、田中学騎手とのコンビでJCに挑む意義を話していたが、予期せぬ形で乗り替わりを余儀なくされた。

代役はどうするか。陣営に声をかけたのはJRA田辺騎手だった。「田辺騎手が『乗ります』と声をかけてくれました。(チェスナットコートの)母のホワイトヴェールに乗って勝ったことがあったんですよ」と堀田一毅厩務員が振り返る。JRA騎手が地方所属馬でG1に挑むという異例の事態は、実は縁がつないだものだった。

パドックでは、JRA在籍時のチェスナットを管理していた矢作芳人調教師との再会も実現した。馬場入場の際、自身の管理馬である8番パンサラッサが通過した後も、矢作師はそのまま残って12番チェスナットコートが来るのを待っていた。堀田厩務員が明かす。

「ファンの多い馬だし、ファンの前で鼻先をなでてあげてほしいと話していたんですよ。『そんな時間あるかな。でも今しかなでられないからなあ』と(矢作師は)話していました。実現して良かったです」

SNSに、矢作師がチェスナットコートをなでる様子が多く投稿されたことが、ファンの多さ、その反響の大きさを示していた。

そして迎えたレース本番。堀田厩務員は田辺騎手にお願いしたという。「どれだけ離されたとしても、諦めずに追ってくださいということだけお願いしました」。結果は17着だったが「ケロッとして元気でしたし、まだまだ走れるよと田辺さんはおっしゃっていました」と、まず何より無事に引き揚げてきたことに、安堵(あんど)の表情を浮かべた。

「レース後は涙が出てきました。パドックでたくさんプラカードを掲げていただいたり、応援の声をいただきましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。またどこかで中央に挑戦したい気持ちが強くなりました」

イクイノックスのルメール騎手が見せた涙も、チェスナットコートのラストランを無事に終えた堀田厩務員の涙も、ジャパンCの歴史にしっかりと刻まれた。【園田競馬担当=松本健史】