今春に定年、引退する調教師が語る「明日への伝言」の第2回は、美浦の中野栄治師(70)が騎手、調教師時代を含めて50年にわたる競馬人生を振り返った。騎手時代は90年ダービーをアイネスフウジンで逃げ切り勝ち。競馬場の史上最多入場人員記録19万6517人によるナカノコールは伝説となった。競馬の世界に入るきっかけとなり、師匠として慕った父要氏との思い出も語った。【取材・構成=舟元祐二】

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父が大井の調教師だったから、もちろん競馬の世界に入ったのは父の影響だった。川崎競馬の佐々木竹見さんは憧れだった。66年に年間505勝したんだよね。同年代には、宮浦君(宮浦正行元騎手、元調教師)に辻野君(辻野豊調教師)などね。宮浦君は川田君(川田将雅)の伯父さんだね。イナリワンに乗っていたんだ。辻野君はハイセイコーに最初に乗った人。中学1年生の時に父に「中央に行け」と言われた。地方に同期や憧れの人がいるのになんで行かなきゃいけないんだって思ったよ(笑い)。

父は僕にとっての師匠。父はジョッキーとして逃げ馬に乗る時に、ステッキを口にくわえて逃げ切ってしまうんだよ。それを見ていたよ。そしたら「お前もやれ」と言ってきた(笑い)。だからいつかはやってあげようと思っていた。そしたらスピリットスワプスの有馬記念(76年)でやっちゃったんだよね。父が亡くなるなと思ったから。スタートして最初の4角を回った時にぱかっと。父のために1回やんなきゃいけないと思ってね。

90年のダービーは勝たなきゃいけないレースだと思っていた。内に逃げ馬が2頭いたし、位置はどこでもいいと思っていたけど、2角でペースが遅かったらハナに行こうと思っていた。とにかくメジロライアンを離しておこうとね。スタートは半馬身遅れたけど、1角で楽に先手に。「なんでこんなに簡単にハナに立てちゃうの?」って笑顔になった。遅いペースだとライアンに差されるから、速いペースが必要。レコードは出ると思っていたよ。ゴールして向正面まで行って、馬ががたがただったんだ。これじゃ転んじゃうなと思って、ダクでゆっくり帰ろうとした。そしたら他の馬がもう先に引き揚げちゃって、この馬だけになった。そしてナカノコールが2角から1角の間で聞こえてきたんだ。鳥肌が立ったね。

人生には常に師匠がいないとね。さみしいと思うよ。これから競馬を目指す人には師匠が必要だよ。師匠というのは叱ってくれる人、目標にする人。そういう人がいれば、もし壁にぶつかったりしても、もう1回そこから原点に返れる。師匠がいることで基礎がしっかりとできるから、迷ってもやり直せる。そして調教師もジョッキーも器を大きくね。器が大きければいろんな人が集まる。悪い人のところには悪い人しか集まらない。そこでやめようよって言える人は来ないからね。今後は今まで通りかな。何か頼まれればやれるかもしれない。それぐらいだね。

◆中野栄治(なかの・えいじ)1953年(昭28)3月31日。大分県生まれ、東京都出身。父・中野要(かなめ)氏は南関東の大井競馬場の調教師。71年3月に東京・荒木静雄厩舎から騎手デビューし、95年2月の引退までにJRA通算3670戦370勝。同年に調教師免許を取得。開業した96年の6月9日にJRA初勝利。01年にはトロットスターが高松宮記念、スプリンターズSを勝ち、春秋スプリントG1制覇。引退年となる今年の日経新春杯ではブローザホーンが勝っている。29日現在までにJRA通算6564戦288勝。JRA重賞8勝(うちG1・2勝)。