今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の第6回は、美浦の高橋裕調教師(70)が50年近いホースマン人生を振り返った。競馬とは無縁の環境に育ち、高校、大学で馬術にのめり込み競馬の世界を志した。トレセンでは関係者に明るく振る舞う一方、厩舎の主として人一倍強い責任感を持って仕事に取り組んできた姿が垣間見えた。【取材・構成=井上力心】

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商人の家庭に生まれて競馬とは無縁だった。周りに関係者もいなかった。外で遊ぶのが好きな普通の子どもだったよ。家の近くに獣医大学(日本獣医畜産大=現日本獣医生命科学大)があって、子どもの頃から近くに馬がいたんだ。小学生の頃、見に行ってかわいいな、乗りたいなと思ったのがきっかけ。高校で馬術部に入って初めて馬に乗ったんだ。大学卒業までの7年間、乗馬は楽しかったし、のめりこんだよね。

馬に乗りながら給料をもらえるなんて最高だと思ったんだ。関係者のつてもなかったから、馬術の先輩に競馬場(東京)に行けと言われた。そこで八木沢勝美先生(調教師)のところにお世話になることになったんだ。師匠は厳しかったし、怖かったよ。ジョッキーとしてもすごかった師匠から、乗り方から馬のケアまでホースマンとしての基礎をすべてたたき込まれた。教えられたことすべてが印象に残っている。僕は競馬のことは何も知らなかったし、なくてはならない存在だった。偉大だったよ。

八木沢先生への憧れもあったし自分で馬をつくりたいと思って調教師を目指した。これまでの人生の中で一番勉強したと思うよ。並の努力じゃなれないから。何回受けたかは秘密だよ(笑い)。合格した時は、うれしいよりも責任感の方が強かったかな。馬主さんから大切な馬を預かるわけだから、すごく覚悟を持っていた。

調教師として馬の健康管理には一番気を使っていた。アスリートもそうでしょう。健康な体があるからトレーニングができるんだ。常に馬を見ていないと駄目。気を抜ける時はなかったよ。厩舎に20頭も馬がいればね、競馬のことを忘れた日なんてなかったね。

いつでも勝った時はうれしい。でも勝てないと悔しい。三十数年その繰り返しだったね。G1、重賞もそうだし、勝った時はもちろんうれしかったよ。でも勝たせることができなかった馬の方が頭に浮かぶよね。あの時あの馬にはこうした調整方法があったんじゃないか? とかね。そんな馬たちにはすまないなと思っている。

後輩への提言? そんなのないよ。調教には答えがないからね。自分の考えでいろいろ試行錯誤しながらやってくれればいいと思う。引退後はもう生き物はいいかな。ここまで一生懸命突っ走ってきたし、少し距離を置きたい気持ち。家訓で「ばくちはするな」と小さい頃から言われているので、馬券も買わないだろうね。

競馬が終われば水曜にはすぐに追い切り。想定が出て木曜に出馬投票。週末にはまたレース。1週間、1カ月、1年のサイクルが早すぎて、あっという間だった。全ての馬の思い出が走馬灯のようによみがえってくるよ。関わってきてくれた馬すべてが宝だね。悔いはない。今はやり切った気持ちだよ。最後まで走り抜くよ。

 

◆高橋裕(たかはし・ゆたか)1953年(昭28)5月19日、東京都生まれ。77年から八木沢勝美厩舎の調教助手を務める。91年2月に調教師免許を取得し同年開業。93年の共同通信杯4歳Sをマイネルリマークで制してJRA重賞初勝利。14年の全日本2歳優駿をディアドムスで勝ち、Jpn1初制覇。26日現在、JRA通算7058戦478勝。JRA重賞6勝。