3月4日付で定年引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の最終回は、栗東・河内洋調教師(70)が競馬人生を振り返る。騎手時代は史上初の牝馬3冠やクラシック完全制覇の名手として知られ、JRA通算2111勝。調教師としては今年の東京新聞杯をウォーターリヒトで制するなどJRA重賞7勝を挙げた。先週土日で最後の競馬開催が終了。70年に騎手候補生となって以来、情熱をそそぎ続けた半世紀以上のホースマン人生に幕を下ろす。【取材・構成=下村琴葉】
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騎手を目指していたので、こんな先まで考えていませんでした。騎手を引退して、これからの人生も長いから調教師をやらせてもらおうと思って、気がついたら騎手候補生の時から55年がたちました。厩舎育ちで、そばにはずっと馬がいたので、そういう意味では引退するのはさみしいなと思います。
武田(作十郎)先生に誘っていただいて騎手になりました。面倒見のいい先生だったので、いろんな厩舎に声をかけていただきました。騎手は乗せてもらわないと仕事ができない。常に不安はありましたよ。G1に限らず、重賞を勝ってくれた馬もたくさんいて、みんなそれぞれの思い出があるので、印象深い馬を1頭に絞るのは失礼かな。
クラシックは全部勝たせてもらいました。アグネスフライトでダービーを勝ったのは45歳。若い騎手もどんどん増えていく中、最後のチャンスだと思っていました。直線は一瞬、(2着エアシャカールに)離されたかなと思ったけど、諦めずに追って、馬も応えてくれました。
その弟のアグネスタキオンも能力はありました。アグネスフライトが勝ったダービーのパーティーが北海道であって「この下(弟)はもっと走りそう」と言われて「そんなのいるの!?」と思ったら、いました(笑い)。競馬に行っての反応が違ったので、だいぶモノが違うなと。競馬にいくまでにごねたりするところもあったけど、スタートを切れば自在性がありました。
調教の時には動かないこともあった。助手が乗れば動くけど、俺が乗ったら動かない。人を見ていたんでしょうね(笑い)。たらればになるけど、ダービーはよっぽど俺が失敗しなければ、勝つ力はあると思っていました。クロフネ、ジャングルポケット、ダンツフレームを負かしているからね。その時はちょっと上を行っていたかな。
調教師になってからは気苦労もありましたね。ジョッキーの時は結果を出さないといけないという責任感はありましたけど。(07年天皇賞・秋2着の)アグネスアーク、(芝とダートで重賞を制した)ヤマニンキングリーとかは思い出に残っています。アークは俺がいない時によく放馬していました(笑い)。
それからアイコンテーラーは、ダートを使ってから安定して、思いのほか強い競馬をしてくれました。ダート馬という感じはしないんだけどね。地方でも、G1(23年JBCレディスクラシック=Jpn1)を勝てて良かったです。
調教師として気をつけていたことは、状態をしっかり見極めることですね。調子が良くないと感じれば、無理をさせないようにしました。馬には、人間が思っている以上に疲労が残っています。目に見えない疲労が。一方で休ませすぎるのも、レースへの立ち上げが難しいですからね。
定年は決められていることだから、もういいかな。さみしいといえばさみしいところはありますけど、きりがないですし。これからは馬券を買って、やじって(笑い)、競馬界に貢献したいです。ゆっくり飲みたいと思います。(おわり)
◆河内洋(かわち・ひろし)1955年(昭30)2月22日、大阪府生まれ。74年3月3日に騎手デビューし、初騎乗で初勝利。79年オークス(アグネスレディー)でG1初制覇。86年にはメジロラモーヌで史上初の牝馬3冠制覇を達成し「牝馬の河内」の異名をとる。主戦を務めた主な馬はニホンピロウイナー、サッカーボーイ、ダイイチルビー、ニシノフラワー、レガシーワールドなど。03年に調教師免許取得、05年開業。23年にアイコンテーラーでJBCレディスクラシックを制し、G1級初勝利。騎手ではJRA通算2111勝、重賞134勝(G1級22勝)。調教師ではJRA4826戦385勝。
◆アグネスタキオン 父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ。ダービー馬アグネスフライトの1つ下の全弟。00年12月の新馬戦から4戦4勝で皐月賞を制して引退。同世代ののちのG1馬ジャングルポケット、クロフネ、ダンツフレームの3頭すべてに先着経験があった。

