全米最大規模の日本人街として知られるロサンゼルス(LA)ダウンタウンの東端に位置するリトルトーキョーは、今年誕生140年を迎えました。

1884年に日本から北米大陸への移住が始まり、日本食レストランが開店したのが始まりで、日系人が居住するようになったといわれています。1905年には「リトルトーキョー(日本語では小東京と呼ばれることも)」という名称が一般的となり、この頃には日系初の新聞「羅府新報」が創刊されたり、日系人が経営する映画館ができたり、和菓子店「風月堂」が開店するなど、コミュニティーが拡大。07年にはリトルトーキョーに住む日本人の人口が3万人を超え、活気に満ちていたそうです。

まるで時代劇のセットのような雰囲気のリトルトーキョー
まるで時代劇のセットのような雰囲気のリトルトーキョー

しかし、24年になると政府が排日移民法を制定し、日本からの移民が禁じられます。さらに第2次世界大戦下の42年2月には大統領命令によって全日系人が強制収容所送りとなり、リトルトーキョーはゴーストタウンと化します。

戦争終結に伴って3年後の45年に強制収容されていた日系人は解放されますが、不在の間に建物は朽ち果て、すべての住民が元いた場所に戻れたわけでなく、リトルトーキョーも街並みが一変してしまったそうです。

「日本村プラザ」と日本語の看板もあるリトルトーキョーの中心ジャパニーズ・ビレッジ
「日本村プラザ」と日本語の看板もあるリトルトーキョーの中心ジャパニーズ・ビレッジ

70年代に入るとニューオータニ・ホテルが開業(現在はダブルツリー・バイ・ヒルトン)し、80年代には日米劇場や日系スーパーのヤオハン(現在はミツワマーケットプレイス)もオープン。90年代初めにかけて日本からの旅行者が大勢訪れてにぎわいを見せます。筆者が最初にLAに来た90年代初めには、今では考えられないですが、リトルトーキョーに免税店もあったほどです。しかし、バブル崩壊と共に観光客は激減し、徐々にリトルトーキョーから日系人や日本人が減り、空き店舗が目立つようになります。

日系人の歴史を展示する全米日系人博物館
日系人の歴史を展示する全米日系人博物館

2000年代に入る頃には非日系人の人口が急増し、古くからあった日本食スーパーが韓国系投資家グループに買収されるなど、リトルトーキョーの日系コミュニティーの衰退が叫ばれるようになります。その後も、再開発の影響で立ち退きを余儀なくされる日系商店が現れるなど街から日本人の姿が消え、ついに今年5月に非営利団体「歴史保護ナショナル・トラスト」が存続の危機にある歴史地区にリトルトーキョーを指定しました。

大谷翔平選手の巨大壁画はリトルトーキョーの新たなシンボルに
大谷翔平選手の巨大壁画はリトルトーキョーの新たなシンボルに

今年は大谷翔平投手の活躍で、95年に野茂英雄投手がLAドジャースに入団して以来となる活気がリトルトーキョーに戻っています。ドジャースタジアムに比較的近い立地であるため、リトルトーキョーに宿泊して野球観戦する日本人観光客も多く、都ホテルロサンゼルスの外壁には大谷投手の巨大壁画アートがお目見えして新たな観光名所にもなっています。

リトルトーキョーには、現在も日本食レストランや日系スーパー、商店、紀伊国屋書店などが立ち立ち並んでおり、日本が恋しくなった時にはとても便利です。

古い建物と新しい町並みが一体化するリトルトーキョー-
古い建物と新しい町並みが一体化するリトルトーキョー-

再開発によってコンドミニアムが建設され、週末にはコスプレ姿で歩く若者がいたりと、90年代に比べて街並みは一変していますが、140年前の建物の一部が今も残されており、歴史を感じることができます。

92年に開館した全米日系人博物館では、そんな日本の教科書には載っていない日系人の歴史について学ぶことができます。

(米ロサンゼルスから千歳香奈子。ニッカンスポーツ・コム「ラララ西海岸」、写真も)