宇和島東と済美(ともに愛媛)の野球部監督を務めた上甲正典さんが、67歳でこの世を去って5年の歳月が流れようとしている。四国勤務時代そしてその後も大変お世話になった。その上甲さんはかつて予土線沿線に自宅があり、予土線に初めて乗車したのも上甲さんの家からだった。高校野球地方大会の季節、思い出をつづりながら予土線に揺られてみた。



「そんなの日が暮れてしまうぞ」。上甲さんにそう言われたのは、今から20年以上前のことだ。高知県須崎市の明徳義塾へ予土線で行くと告げた時だった。

上甲さんの話で印象に残るのは池田の蔦文也監督の思い出だ。センバツで初出場初優勝を果たした1988年。準決勝後に蔦さんがやって来て言った。「上甲君。準決勝で負けたらよくやっただ。でも決勝に行ったらどんな手段を使っても勝たなきゃダメだぞ」

蔦さんは既に大監督。恐れ多く会ってもあいさつぐらいしかできなかったが、その蔦さんが自ら話しかけてくれた。しかし、どんな手段を使っても? 一体なんだろう?

「優勝と準優勝の違いを一番知っているのは私だから」。

「あの一言で浮ついた心が引き締まった」。16年後には済美でも初出場初優勝。蔦さんと箕島の尾藤公さん。地方の公立校を全国区にした2人を強く意識した。甲子園の上甲スマイルが尾藤さんに由来するのは有名な話だ。


2004年選抜高校野球で優勝し、インタビューを受ける済美・上甲監督
2004年選抜高校野球で優勝し、インタビューを受ける済美・上甲監督

その上甲さんは私が四国勤務のころは宇和島東の監督だった。ところが私が住む高松から宇和島までは果てしない遠い。当時、高速道路は松山のすぐ先の伊予市までしかなく、車だと峠越えを含む国道を延々2時間、計4時間近い運転は疲れる。しかし、そんな道路事情を見越してか、この区間はJRが頑張っていて、特急は松山~宇和島を1時間20分ほどで結び、1時間に1本が運行されている。

それゆえ宇和島へは予讃線が基本だったが、高知方面への取材が重なった時は車利用しかない。松山方面とは逆に高知方面へは当時から快適な道路があって宇和島から明徳義塾まで1時間半ほどで行けた。

しかしそのコースには予土線という乗ったことのない鉄路がある。うーん、乗りたい。しかも宇和島に行く度に泊めてもらっていた上甲さんの自宅は予土線沿線。宇和島駅ではなく途中駅からの乗車なんてすてきじゃないか。意を決して「予土線で…」と切り出した時の反応が冒頭の言葉だ。

そうなのである。予土線というのは実に本数が少ない。全区間を通じた運行は1日6本。当時もほぼ変わらない。しかも優等列車がなく遅い。明徳義塾まで車に比べると2時間は遅い計算だ。それでも上甲さんには「車の運転がしんどくて」とか言ったけど。

その後も予土線には2度ほど乗ったが、いずれも宇和島から。今回は高知側から乗ろうと起点の若井駅からスタートすることに。その若井駅、小さな待合室があるだけの棒状駅だ(写真〈1〉〈2〉)。周囲はわずかな民家と田畑。とてもターミナル駅には見えない(写真〈3〉)。すべての列車が1駅先の窪川まで行くのだ。この若井~窪川間はJR中村線が第3セクターの土佐くろしお鉄道に転換された際、同社路線となっており、JRではない。だから青春18切符利用者にとっては別料金が必要な関所でもある。


〈1〉正式な予土線の起点である若井駅の駅名標
〈1〉正式な予土線の起点である若井駅の駅名標
〈2〉土佐くろしお鉄道の特急が棒状の小さい駅を通過していく
〈2〉土佐くろしお鉄道の特急が棒状の小さい駅を通過していく
〈3〉若井駅の近くにはかわいいバス停があった
〈3〉若井駅の近くにはかわいいバス停があった

土佐くろしお鉄道の特急も気持ちよく通過する岩井から予土線に乗り(写真〈4〉〈5〉)、目指したのは土佐大正。個性的な駅舎と町並みに引き付けられる駅だ(写真〈6〉〈7〉〈8〉)。だが残念ながらこの時間帯は大雨が降っていて散策は断念。列車を待つ1時間の間、そういえば雨の中、上甲さんが「こんな環境で練習できるのは今日しかない」と言って泥んこの中で猛練習をしていたのを思い出した。


〈4〉宇和島行きの列車がやってきた
〈4〉宇和島行きの列車がやってきた
〈5〉宇和島行きの列車は新幹線を模したホビートレインだった
〈5〉宇和島行きの列車は新幹線を模したホビートレインだった
〈6〉駅舎が個性的な土佐大正駅
〈6〉駅舎が個性的な土佐大正駅
〈7〉土佐大正駅の駅名標
〈7〉土佐大正駅の駅名標
〈8〉土佐大正駅の周辺には古い町並みが広がる
〈8〉土佐大正駅の周辺には古い町並みが広がる

全国区の強豪だったボート部の練習にヒントを得て、ボート漕ぎ用の練習具を採り入れた。愛媛県の野球は伝統的に松山商に代表される守りの野球だったが、あえて強打で挑んだ。投球術でかわすより、力で抑え込む投手を好んだ。いろいろなことを思い出しながら予土線の旅は続く(写真〈9〉)。【高木茂久】


〈9〉土佐大正駅の時刻表。1日6本の運行
〈9〉土佐大正駅の時刻表。1日6本の運行

※予土線 伊予と土佐を結ぶ約80キロの路線。正式には若井~北宇和島だが実質的には窪川~宇和島を走る。軽便鉄道として宇和島から工事が始まり、愛媛県内の一部が大正時代に開業。その後、国鉄となり、1974年に全線開通した。高知県側の四万十川に沿って走る区間は景観が美しい。