新幹線の新高岡から城端線で1駅。高岡市の中心駅である高岡駅は高架駅。その1階部分に万葉線の高岡駅停留場がある。基本的には毎時00分から15分ごとの運行で覚えやすく本数も多い。

 
 
〈1〉高岡駅停留場で折り返す2両編成の新型車両
〈1〉高岡駅停留場で折り返す2両編成の新型車両

やって来たのは2000年代になって導入された2両編成の新型車両〈写真1〉。ちなみに停留場が駅前から駅の直下に引っ越してきたのは6年前。いずれも、まだピカピカである。高岡駅を出発すると街の中心部を併用軌道で走る。いわゆる路面電車だ。

高度経済成長を象徴するような歴史がある。すべて説明すると長くなるが、現在は貨物専用線となっている国鉄新湊線の旅客部門を引き受けるような形で併用軌道ができ、後に富山駅方面からの富山地方鉄道射水線とつながった。しかし富山新港建設のために海の内側にあった湖(駅名の越の潟に名を残している)と海を一体にすべく、湖と海の間を走っていたレール部分が開削の対象となり鉄路は分断。射水側は新港湊線となり、別の会社を経て現在の第3セクター万葉線として運行されることになった。路面電車部分と専用軌道部分が一本になっているのは、このような歴史のためだ。だから高岡から六渡寺までは「停留場」で六渡寺から越の潟までは「駅」である。

〈2〉鉄橋を渡る2両編成の新型車両
〈2〉鉄橋を渡る2両編成の新型車両
〈3〉昭和時代からの路面電車が鉄橋を渡る
〈3〉昭和時代からの路面電車が鉄橋を渡る
〈4〉庄川口の駅舎
〈4〉庄川口の駅舎

こんな歴史もあってユニークな光景を見ることができる。六渡寺から越の潟方面に庄川があり、お隣の庄川口を目指して鉄橋を渡る。駅と駅の間で電車が鉄橋を渡るのは通常の光景だが、車両は路面電車。つまり路面電車が鉄橋を渡るという景色になるのだ(写真2~4)。またこれより高岡寄りでJR氷見線と交差する部分では路面電車がJR線路をオーバーパスするという景色もある。同じ車両に揺られながら、停留所部分が終わると駅舎が登場する。

〈5〉越ノ潟駅の駅名標(2015年10月)
〈5〉越ノ潟駅の駅名標(2015年10月)
〈6〉越の潟駅を降りると船乗り場がある(2015年10月)
〈6〉越の潟駅を降りると船乗り場がある(2015年10月)
〈7〉出発を待つ渡船(2015年10月)
〈7〉出発を待つ渡船(2015年10月)
〈8〉約5分で向かいの堀岡発着場に到着する
〈8〉約5分で向かいの堀岡発着場に到着する

終点の越の潟(正式には起点駅)でもハイライトが待つ(写真5)。線路分断については前述したが、越の潟駅の向かいには富山県営渡船の乗り場があり(写真6)、5分ほどで向かいの堀岡発着場に運んでくれる。要は失われた鉄路を海路で行く代替交通なのだが、これがなんと無料(写真7、8)。そう、「タダ」である。鉄路の分断には猛烈な反対運動が起き、当初は有料だったが、その後無料となったという。

〈9〉船からは新湊大橋の勇姿が見える
〈9〉船からは新湊大橋の勇姿が見える

乗船したのは5年前。心地よい風に天を仰ぐと新湊大橋の勇姿(写真9)。8年前に完成した橋のおかげで分断状態は解消されたが、渡船は規模を縮小しながらも残されている。なお東側の射水線は廃線となってしまったが、バスで富山の中心部と接続されている。私のオススメは土日祝日運転の岩瀬浜行き。岩瀬浜は富山ライトレールの終点。本数は少ないが、この乗り継ぎで高岡から富山までをグルリ回って万葉線、渡船、ライトレールを一気に乗ることが可能になる(写真10)。

〈10〉万葉線、富山ライトレールの回遊ルートを案内するポスター
〈10〉万葉線、富山ライトレールの回遊ルートを案内するポスター

さて、いろいろ語ってきたが、種を明かすとかなりの部分が「車中で得た情報」だ。土日祝日の万葉線は新湊出身の立川志の輔師匠がアナウンスを務める。全駅のガイドがあり、その名調子に飽きることはない。観光情報はもちろん、氷見線との交差も鉄橋の撮り鉄情報までレクチャーしてくれる。すべてがガッテンなのだ。

5年前のこと。越の潟を目指す車両は私を含めて4人になっていた。うち1人が、部活帰りと思われる高校生で深い眠りについていた。とある駅に到着した時、運転手さんが「着いたよ」と大きな声。何のことかと思ったら、ピクンと反応した高校生が「ありがとうございます」と駆け足で下車していった。こんな光景を見られるのも地方の鉄道ならではだろう。

実は今回の旅では時刻表の見誤り(しばしばやらかす)をして氷見線能町駅との乗り換えができなかったが、いずれまた行くだろう。そのときこそは師匠おすすめの新湊のすしをぜひ味わいたいとひそかに決心している。【高木茂久】