姫新線の西端部分となる中国勝山~新見間は1日わずか7往復(休日ダイヤ)。すべてが岡山県にありながら、県境越えをしているのではないかと思ってしまうほど、車窓は急峻(きゅうしゅん)な山間部と川の景色が広がる。あいにくの雨だったが、まだ薄暗い津山から山中の春を求めてワンマン列車に乗り込んだ。(訪問は3月21日)
春休みにさしかかろうという3月のこの時期、6時すぎはまだ真っ暗だった。津山からの新見行きは、多くは出合えないキハ120の2両編成でテンションが上がる(写真1)。しかし乗客は私ともう1人。その方は隣の院庄(いんのしょう)で降りてしまったので、しばらく貸し切り状態。途中数人が乗ってきて中国勝山でほとんど降りてしまった。もちろん私はここからが本番である。
中国勝山から閑散度が高くなる姫新線は、この時間から新見へ向かう列車はわずか6本。といっても最後の2本は18時48分以降なので事実上4往復を利用して途中の5駅を攻略しなければならない。ちなみに5駅はすべて昭和1ケタ生まれ。約38キロの中にたった5駅で戦後に誕生した駅がないということから集落の少なさは想像できる。
まずは7時27分に富原(とみはら)で下車。ロッジ風の駅舎で日曜朝の7時半にもかかわらず、既に商店が開いていて車で買い物に来るお客さんの姿。そして駅から見える場所に商店があったのは、結果的にここだけだった(写真2~4)。刑部(おさかべ)で列車交換(すれ違い)をした津山行きが来たのは7時53分。1駅目の月田(つきだ)で降りる。どうしても行きたかった駅が2つあり、そのうちのひとつ。なぜかというと、かつて急行「みまさか」の終着駅だったから。
1980年代初頭までは1日3本のみまさかがあり(いずれも他の急行と併結)、中国勝山行き、新見行きともう1本が月田行き。83年に中国勝山行き1本のみとなり、85年に中国勝山以西が普通扱いになった後、平成を迎えた89年に廃止となった。姫新線優等列車の終焉(しゅうえん)である。
終点としての中国勝山、新見は理解できるが月田って、どんなところだろう? 網干、野洲、籠原、小金井など「終点駅」には興味が尽きないタイプである。この4駅は都会へ向かう電車の車両センターや基地があるので納得できるが果たして月田は…。
初訪問の私を待っていたのは線路のはがされた1本のホームだった(富原も同様)。付近は木材関係の工場が多いようである。駅舎も関連施設となっている。駅舎を出ると材木の香りが漂う。実はレールのないホーム以外にも、もうひとつホームが残っていて貨物の引き込み線だったようだ。盛期は木材関連の貨物でにぎわったのだろう。歩くとすぐ月田川だが、日曜ということもあってか周囲は静けさに包まれている(写真5~9)。
そして私はこのログハウスで2時間半過ごすことになった。次の列車がないからだ。雨も強くなってきた上、寒い。ちなみに列車を降りたのも私1人、2時間半後の列車に乗り込んだのも私1人。歩いて1分ほどの至近に飲料自販機があるが傘は必要。ちなみに缶コーヒーを2回買いに行き、2回もトイレに行った。もちろんひとつの駅では初体験。完全に駅舎の番人である。
いや、正確に言うと訪れた人物はいた。パトカーがやって来たのだ。不審者通報でもされたのかと身構えたが定期巡回らしく警官の方は駅舎の中とホームをチェックして帰っていった。「おつかれさまです」。もちろん、あいさつしましたよ。ただ帰り際に私の時刻表をチラリ見たので「雨の中、鉄オタが1人」と報告されたかもしれない。
ようやく列車に乗り込み、絶対訪れたい駅だった岩山に到着。昭和1ケタ生まれの木造駅舎が残る。駅舎内の解説によると国鉄時代の75年に新見市に無償譲渡され、以来地元の方がきれいに守っているそうだ。かつては岩山神社への参拝でにぎわったそうだが、今は雨の中、静かにたたずんでいる(写真10~12)。
実はひとつ手前の丹治部で降り、ゆるやかな下りとなる県道を歩いて岩山へ到達する予定だったが雨で断念。岩山の駅舎で1時間半待って津山行きに乗り刑部で下車。こちらはすれ違い施設が残っている。引き込み線もある。新見市から真庭市に向け、ここから深い山中に入っていくので保線用だろうか(写真13~15)。
姫新線に寄り添うように走ってきた中国道は美作落合あたりで1度分かれる。というか姫新線が中国勝山へ大回りする。岩山付近で再び合流した中国道は、その後新見→東城→庄原から三次へと向かう。インターチェンジ名で分かる通り、姫新線の次は芸備線に寄り添う。トンネルを掘らなくて済むよう戦前に川沿いを細々と敷設した鉄路は路盤も悪く制限速度だらけ。トンネルなど気にしないで造られた専用自動車道に勝てるはずがない。
鉄道サイドから見ても鳥取への因幡街道、島根への出雲街道をたどった150キロの姫新線だが、今や大阪から鳥取へは高規格の智頭急行、島根へも新幹線を岡山乗り換えでの伯備線特急がメインルートである。つまり陰陽連絡線としての機能はほとんどなくなっているといえる。それでも私はコトコト走るキハ120からの渓谷の景色がいとおしく感じる。新見で降りたのは14時33分。全国各地で桜の開花が伝えられていたこのころ、刑部駅の桜は姫新線の列車と同じように、ゆっくり春を待っていた(写真16~17)。【高木茂久】