11月も3分の1が過ぎ、秋を経て冬の気配も漂ってきた10日、9月の18、19日に訪れた越美北線に再び向かった。約50日ぶりの訪問は、前回の積み残しの回収である。ただ単に訪問というだけでは、面白みに欠けるので「越美線」としての訪問も含めての日帰り旅となった。

午前9時すぎ、私は長良川鉄道の終点である北濃駅にいた。自宅を車で出たのは5時半。途中2度の休憩をはさんで東名→東海北陸道をやってきた。第3セクターである長良川鉄道の路線が越美南線。大正期に始まった工事は徐々に延伸され、1934年(昭9)に、ここまでやって来た。戦後になって福井から当駅を目指して伸びてきた越美北線との接続を待つだけだったが実現せずに現在に至っている。国鉄末期に3セク転換となった。だから80年近く、この姿のままである。(写真1~4)

〈1〉越美南線の終着駅である北濃
〈1〉越美南線の終着駅である北濃
〈2〉終点を示す説明板
〈2〉終点を示す説明板
〈3〉国鉄時代の転車台が今も残る
〈3〉国鉄時代の転車台が今も残る
〈4〉転車台の説明板
〈4〉転車台の説明板

木造駅舎でSL時代の転車台が保存されている。越美北線の終点である九頭竜湖とは直線距離で16キロ。意外と近いが、それはあくまで直線距離。もともとの予定は北濃からさらに北上。岐阜県と福井県の県境である石徹白(いとしろ)村(計画時点では福井県だったが、現在は岐阜県郡上市)を経て石徹白川に沿って九頭竜湖駅に接続することになっていたので実際は、さらに10キロほど長くなっていたと思われる。

北濃から石徹白まではバスがあり、そこから徒歩で県境を越えるロマンな未成線の旅にも憧れはあるが、今日の目的は越美北線の4・5往復区間の回収なのでマイカー利用となった。その場合は長良川鉄道の美濃白鳥駅近くから国道158号(※)を行くことになる。こちらには油坂峠という県境の難所があり、旧道はクニャクニャ道だったが、中部自動車道の一部として油坂峠道路が開通。容易に九頭竜湖に到達できる。初めて見るダム湖でひと休みすると、すぐ九頭竜湖の駅だ。(写真5、6)

〈5〉多くの列車が折り返す旧白鳥町の中心駅、美濃白鳥駅
〈5〉多くの列車が折り返す旧白鳥町の中心駅、美濃白鳥駅
〈6〉車だと九頭竜湖駅から九頭竜湖まではすぐ
〈6〉車だと九頭竜湖駅から九頭竜湖まではすぐ

3年前の6月に初めて訪れた時は予備知識がなく驚いた。列車が数えるほどしか来ない、ひなびた終着駅を想像していたのだが全然違った。駅に隣接して道の駅があり、車でビッシリ。もちろん人だらけ。私が乗った越美北線の客はわずかだったので複雑な気分になった。現在は工事中で駅の全容が分からないので当時のものを掲載しておく。線路はホームのすぐそばで終わっている。未成線ではあるが、ここから工事が少しでも進んだ形跡は全くない。(写真7~11)

〈7〉九頭竜湖駅は道の駅と隣接している
〈7〉九頭竜湖駅は道の駅と隣接している
〈8〉九頭竜湖の駅舎(2018年6月)
〈8〉九頭竜湖の駅舎(2018年6月)
〈9〉ホームのすぐ先で線路は終わっている(2018年6月)
〈9〉ホームのすぐ先で線路は終わっている(2018年6月)
〈10〉九頭竜湖に到着したキハ120
〈10〉九頭竜湖に到着したキハ120
〈11〉九頭竜湖の駅名標
〈11〉九頭竜湖の駅名標

ここからは雪から道路を守るスノーシェッドが続く国道を福井に向かって進む。9月に途中断念してから再訪のタイミングを探り10月は日程が合わず、11月のこの日になったのは雪による要因が大きい。一帯は豪雪地域で12月の声を聞くと冬用タイヤを持たない私の車では、とてもではないが行けない。押っ取り刀で駆けつけることとなった。

前回撮り忘れた角度があったので、越前下山駅を再訪。随分と紅葉が目立つ景色になっていた。続いて勝原へ。「かどはら」と読む、なかなかの難読駅である。越美北線は起点の越前花堂と終点の九頭竜湖を含め22もの駅があり、その両駅を含め駅舎のあるのはたったの6駅だが、そのひとつ。駅舎があるのは、1960年に越美北線が開通してから九頭竜湖まで延伸される72年まで終点駅だったから。(写真12、13)

〈12〉高い盛り土の上にあることが分かる越前下山駅。9月に比べると木々は色づいていた
〈12〉高い盛り土の上にあることが分かる越前下山駅。9月に比べると木々は色づいていた
〈13〉越美北線では数少ない駅舎のある勝原
〈13〉越美北線では数少ない駅舎のある勝原

ただし利用者はコロナ前から1日数人にも満たない。高台を走る国道から少し降りたところにあり、利用人数は越前大野~九頭竜湖にある途中駅と同じレベルだ。周辺は静けさに包まれているが、1面1線のホームながら、広い構内を持っていた雰囲気が残る。戦争をはさんで終着駅だった大糸線の小滝駅(10月21日の記事)と同じ香りだ。それでも1年で半月ほど駅が大いににぎわう時がある。駅近くには多くの花桃が植えられていて、4月中旬からゴールデンウイークごろまで満開となり、たくさんの人が訪れる。(写真14~17)

〈14〉奥に見える公民館の場所には、かつて給水塔があったと思われる
〈14〉奥に見える公民館の場所には、かつて給水塔があったと思われる
〈15〉かつては広い構内があった名残がある。左奥の木々が4月に一斉に開花する
〈15〉かつては広い構内があった名残がある。左奥の木々が4月に一斉に開花する
〈16〉文字に歴史を感じる名所案内
〈16〉文字に歴史を感じる名所案内
〈17〉駅名標。かなりの難読である
〈17〉駅名標。かなりの難読である

もちろん私の訪問時は誰もいなかった。いつからのものだろうか、名所案内の文字にひかれる。スキー場は今は営業がなく、鳩ヶ湯に行くバスは1日2本。原稿を書いている今は冬季運休中のはず。駅巡りに車というのは、あまり本意ではない。列車で来れば、もう少し独り占め感を味わえるのだけど…と思いながら、次の駅を目指すことにする。【高木茂久】

(※)福井市から岐阜県高山市を経て長野県松本市に至る300キロもの国道。いくつもの厳しい峠を越えるため、かつては道幅が狭くカーブも多い、いわゆる「酷道」として知られたが、需要は多く旧道時代は狭い道路をバスやトラックが走っていた。その後、道路事情は大幅に改良されたが、火山の中を掘るトンネル工事が行われたことで有名。