まる2日間を要した「山陰本線の閑散区間17駅85キロを公共交通機関のみの利用で訪れる旅」も、萩の中心部を離れて、ようやくゴールの長門市が見えてきた。この区間には「世界で最も○○」な鉄道ファンには有名な駅がある。景観も含め、ぜひ訪問してほしい駅。まる2日間の旅のゴールは夜も暮れた時間だった。(訪問は11月4、5日)

◆萩14時29分→飯井14時47分

長門市まで途中駅は3つ。先が見えたところで向かったのは、萩市の西端にあたる駅、飯井。萩~長門市間のハイライト。「いい」と読む。結構な難読駅である。戦後に設置された駅で、同様の歴史を持つ越ケ浜(東萩のひとつ東寄り)と同じく高台に設けられていて越ケ浜同様、駅舎はない。その待合所でハイライトの意味が分かる。(写真1~3)

〈1〉待望の飯井駅に到着
〈1〉待望の飯井駅に到着
〈2〉長いスロープを登ったところに駅がある
〈2〉長いスロープを登ったところに駅がある
〈3〉待合所には「世界最短の駅名」の案内が
〈3〉待合所には「世界最短の駅名」の案内が

「ローマ字表記で世界最短の駅名」。一見、何のことか分からない。説明すると、まず仮名表記で最も短いのは、こちらは有名。三重県の県庁所在地「津」である。「つ」でたったの1文字。しかしローマ字表記となると「Tsu」と3文字。1文字というのはなく(※)、最短は2文字になるが、該当するのは飯井(Ii)の他に「粟生=Ao」(兵庫)、「小江=Oe」(長崎)、「頴娃=Ei」(鹿児島)。これらの文字を並べて比べた際、「Ii」は縦の棒が2本だけ。全体の幅が最も短くなるということ。

見どころは景色にもある。飯井の町は少し離れているがスロープを上った高台にあるため港も含めてホームから俯瞰(ふかん)できる。また今回の旅では、かなりバスのお世話になったが、唯一バス路線がない場所にあるため、行程を作る上では最優先だった。また小さな川があって、こちらが萩市と長門市の境界。こういうシチュエーション、私はかなり好きである。(写真4~6)

〈4〉駅名標を見ると幅の小ささが分かる
〈4〉駅名標を見ると幅の小ささが分かる
〈5〉ホームからの眺望も味わえる
〈5〉ホームからの眺望も味わえる
〈6〉スロープを降りた小さな川が市境となる
〈6〉スロープを降りた小さな川が市境となる

◆飯井15時4分→三見15時10分

ダイヤの関係で1駅戻る。萩市と長門市を結ぶバスが走っているが、行程に合わなかった。次の列車まで1時間半の待機である。駅を堪能しよう。大正末期に西側から萩までレールが伸びた際に設置された木造駅舎が今も現役。財産票にもそう記されている。ただ跨(こ)線橋は山口県ならではのオレンジに塗装されている。現在は無人化されているが、よく見るとかつての窓口、手荷物受付の装飾が細かい。ホームにある手づくりの案内はいつからのものだろうか。駅の張り紙に目がとまる。向かいホームにある待合所の撤去案内だった。訪れたのはギリギリのタイミングだった。駅舎と逆側は漁港が広がる。散策をしていると、あっという間に時間がたってしまった。(写真7~12)

〈7〉大正期の開業時からの駅舎がほぼそのままの三見駅
〈7〉大正期の開業時からの駅舎がほぼそのままの三見駅
〈8〉窓口と手荷物受付の細かい装飾もそのまま
〈8〉窓口と手荷物受付の細かい装飾もそのまま
〈9〉駅舎には大正14年の財産票があった
〈9〉駅舎には大正14年の財産票があった
〈10〉手書きの注意書き
〈10〉手書きの注意書き
〈11〉間もなく待合所が撤去される案内があった
〈11〉間もなく待合所が撤去される案内があった
〈12〉味のある待合所だが、すでに消えているのかもしれない
〈12〉味のある待合所だが、すでに消えているのかもしれない

◆三見16時41分→長門三隅16時55分

この時間になると列車内は帰宅の高校生で混雑する。1両編成でも閑散としていた時間帯がウソのようで座るのも大変だ。日本全国そうだが、この時間帯の乗車は、ローカル線が高校生に支えられていることを実感させられる。当駅でもゾロゾロと高校生が降り、家族が出迎える車を待っている。これも各地で見られる光景だ。(写真13、14)

〈13〉下校時間となり、多くの高校生が下車した
〈13〉下校時間となり、多くの高校生が下車した
〈14〉大きな駅舎だが駅の機能を果たしているのは右側の一部分だけ
〈14〉大きな駅舎だが駅の機能を果たしているのは右側の一部分だけ

旧三隅町の中心駅。大正期の延伸の際、半年だけ終着駅だったことがある。飯井駅ができるまで隣駅だった三見まで10キロ以上あった。大きな町がなかったということになるが、当駅付近はすっかり長門市市街の雰囲気だ。貨物でにぎわったことを想像させるヤードが残り、大きな駅舎があるが、改装を経て大部分は「はつらつステーション三隅」となり、駅として使用されているのは右側のごく一部。興味深かったのは自動信号化完成の記念碑。昭和53年とあるから、70年代まで普通に通行票の光景が見られ、こちらが最後の場所となっていたのか。(写真15、16)

〈15〉かつて貨物駅として機能していたことを示していた
〈15〉かつて貨物駅として機能していたことを示していた
〈16〉山陰本線全線が自動信号化されたことを示す記念碑
〈16〉山陰本線全線が自動信号化されたことを示す記念碑

さぁ、これで16駅。あと1駅である。ただし次の列車は2時間半後なのでバスで長門市駅に向かう。

◆(バス)三隅駅前17時24分→長門市駅南口17時36分

このあたりでは複数の路線が合流しているので長門市駅へのバスはかなりある。長門市方面へのバス停がなく焦ったが、民家の前にベンチがあり、よく見ると民家の壁に申し訳なさそうに時刻表が張られていた。もう少し目立つようにしても良さそうなものだが、いちげんさん向けの停留所ではないだろうし、景観の問題もあるのだろう。バスの姿が見えたころは周囲も薄暗くなっていて10分後のゴール時には、すっかり夜だった。

今回の益田~長門市の85キロはJR西日本の他路線でいうと東海道本線・山陽本線の大阪~姫路の88キロとほぼ同距離である。大阪から姫路までの距離を思うとかなりの距離があるように感じるが、ご存じのように後者の区間には新快速という、追加料金不要ながら特急並みのスピードで走る看板電車があり、所要時間は1時間。昼間も15分間隔で運行されている。対する益田~長門市は通し運行が5・5往復で所要1時間50分。同じ「本線」とはいえ、随分と待遇が違うが、時間について言えば、大阪から明石までが快速で、以降は姫路まで各駅に停車する「普通電車」が1時間40分ということを考えると、それほど差はない(もちろん停車駅の数が圧倒的に違う)。少し不便な分は美しい景色で補える。(写真17~19)

〈17〉申し訳なさそうな感じで時刻表が張られていてバス停だと分かった
〈17〉申し訳なさそうな感じで時刻表が張られていてバス停だと分かった
〈18〉ゴールへ向かうバスがやってきた
〈18〉ゴールへ向かうバスがやってきた
〈19〉すっかり日が暮れた長門市駅にゴール
〈19〉すっかり日が暮れた長門市駅にゴール

山陰本線に共通して言えることだが、多くの区間で日本海沿いの美しい車窓がある。兵庫県から鳥取県、島根県までは大海原、山口県に入ると島々の景色。今回も海沿いで徐行するので「お客さんへの景観サービスかな」と目を凝らすと、JR西日本名物ともいえる徐行区間で思わず笑ってしまったけど。

またいつもながら路線バスに乗ることで地域のいろいろな発見がある。そもそもコンビニを見つけて喜ぶという感覚がふだんはない。今回は17駅訪問に、まる2日間も要したが、闇夜の長門市駅が見えた時の「やりきった感」は得がたいものがあった。そんな気持ちを再び得るべく、帰宅するや否や、さて次はどこに行こうかと、時刻表をパラパラとめくる日々が続くのである。【高木茂久】

※「津」のローマ字表記を1文字の「z」にしようと「プロジェクトZ」という運動が津市で行われている。またローマ字にも、さまざまな方式があり、方式によっては津も「Tu」の2文字となるが、駅名標はヘボン式の「Tsu」となっている。(写真20)

〈20〉津の駅名標は「Tsu」の表記
〈20〉津の駅名標は「Tsu」の表記