前回まで2回にわたり、関西本線非電化区間の各駅訪問をお伝えしたが、当時所持していたきっぷは柘植(つげ)までのものだった。本文でも触れたが、柘植より先、非電化区間は加太、関を経て亀山まで続く。つまり途中駅はたったの2駅しかない。ちょっと半端なリポートだったかも、と思っているうちに、訪れなければならない、という義務感がムクムクわいてきた。ということで青春18きっぷ期間最初の週末となったさる5日、まずは柘植駅に降り立った。

原稿を書いているうちに行きたくなってきた、というモチベーションそのままに、早朝、勝手に目が覚めて草津到着は8時前。週末は早朝の新快速が運行していないので、大阪方面からは快速利用でちょっと多めに時間がかかる。今回は柘植以東に行くわけで、大阪からだと前回と同じ天王寺経由の関西本線、京橋経由の片町線という手段もあるが、東海道線から草津線経由で向かうことにした。

青春18きっぷ期間の週末の関西本線非電化区間は混雑する。加茂から柘植までの約1時間、座れる自信がなかった。草津線なら座れるはずだし、柘植から先はたいした時間ではなく、景色を見るのが主眼なので立っていても大丈夫だという判断がひとつ、そして何より大きかったのは加茂から乗車すると、柘植駅止まりなんて列車は最終までないので、柘植駅で1時間待つことになること。草津線で行けば柘植での待ち合わせが20分と、ちょうど良い時間となる。

柘植で降りたのは7年ぶりか。古い駅舎を持つ。「三重県最初の駅」である。三重県なら名古屋に近いあたりが該当するのではないかと思われる方も多いかもしれないが、草津から延伸されてきた線路が滋賀県から三重県に入ってすぐのこちらに駅が設置された。1890年というから、日本で初めて鉄道が走ってから20年もたっていない。その後、線路は四日市そして名古屋と向かう。(写真1~3)

〈1〉木造の古い駅舎を持つ柘植
〈1〉木造の古い駅舎を持つ柘植
〈2〉関西本線は非電化だが草津~柘植の草津線は電化されている
〈2〉関西本線は非電化だが草津~柘植の草津線は電化されている
〈3〉駅前の解説板で三重県最古の駅と記されている
〈3〉駅前の解説板で三重県最古の駅と記されている

ここまで書けば、お分かりかもしれないが、現在の関西本線はかつて名古屋から柘植を経て草津に至るルートが先にできたのだ。江戸時代の東海道五十三次を考えてほしい。名古屋から京都に至るルートは、こちらである。ところが国鉄の東海道本線は、ご存じの通り、三重県は通らず岐阜県から草津に至った。鉄道敷設前、草津は中山道と東海道の分岐。この状況に四日市で設立された関西鉄道という会社が旧東海道のルートを通そうと工事を始めたのが現在の草津線。乗車すると分かるが、柘植駅の西では草津線が真っすぐ敷かれ、関西本線が左に分岐する形となっている。つまり草津方面が「本線」だったのだ。その後、関西鉄道は奈良に線路を伸ばし、名古屋からの鉄路と合わせ現在の関西本線となった。(写真4~6)

〈4〉お手洗いの案内標もかなり古いと思われる
〈4〉お手洗いの案内標もかなり古いと思われる
〈5〉12日のダイヤ改正を前に新旧の時刻表が張られていた
〈5〉12日のダイヤ改正を前に新旧の時刻表が張られていた
〈6〉2面3線で草津線は主に3番線を使用する。「2」「3」の番線文字も古典的
〈6〉2面3線で草津線は主に3番線を使用する。「2」「3」の番線文字も古典的

柘植は要衝駅となった。分岐駅としてもそうだが、お隣の加太(かぶと)駅から「加太越え」という難所があった。柘植駅のホームには海抜を示す柱が建てられている。243メートルと記されているが、加太に比べると約100メートル高いとされる。1駅で一気に100メートルを駆け上がるのは坂が苦手な鉄道にはつらい。さらに隣の関までも70メートルの差があった。蒸気機関車の時代は亀山でもう1台の機関車をつなぎ、2台がかりで坂を駆け上がった。旅客だけでなく貨物もひと休みする。補助機のSLは亀山へ向けて方向を変えなければならない。広い構内が必要で、ほぼそのままの形で残っている。(写真7、8)

〈7〉海抜を示す柱は尺表示も
〈7〉海抜を示す柱は尺表示も
〈8〉構内の広さは以前のまま
〈8〉構内の広さは以前のまま

ちなみに草津線は電化されていて架線はここまで。かつては関西本線、草津線を経由する急行が運行されていたが今は優等列車もなく、運行は分断された。昼間はともに1時間に1本。乗り継ぎも考慮されたダイヤとなっている。

それにしても前回訪れた際、こんなにも忍者からの歓待を受けただろうか。伊賀上野でも多くの忍者に案内されたが、その比ではない気がする。元々、柘植駅は伊賀町の代表駅だった。今は上野市と合併し、伊賀市となっているが、伊賀市の玄関口として訪問客を歓迎しているようだ。写真は掲載しないが跨(こ)線橋の「柘植のホント!かるた」も楽しめる。(写真9~12)

〈9〉草津線を降りると忍者に案内される
〈9〉草津線を降りると忍者に案内される
〈10〉階段の上から忍者が見守る
〈10〉階段の上から忍者が見守る
〈11〉跨線橋に張り付きながらも、しっかり乗り場を指さしている
〈11〉跨線橋に張り付きながらも、しっかり乗り場を指さしている
〈12〉忍者博物館へは伊賀上野で乗り換えでござる
〈12〉忍者博物館へは伊賀上野で乗り換えでござる

その一方でランプ小屋も残り、訪問時は週末で無人駅となっていたが、古典的なラッチ(改札)も健在だ。財産票が見当たらなかったが、三重県最初の駅だった時代からの駅舎の可能性も十分ある。最後になってしまったが、よく間違われる駅名は「拓殖」ではない。柘植である。ちょっと語りすぎてしまったが、キハ120で加太越えに向かおう。【高木茂久】(写真13~14)

〈13〉ランプ小屋が残る
〈13〉ランプ小屋が残る
〈14〉今は見かけることが少なくなった古典的な改札が残る
〈14〉今は見かけることが少なくなった古典的な改札が残る