日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(60)が、昭和から平成初期にかけての本塁突入の攻防を振り返る。

80年代後半から90年代にかけては、ホーム上でのクロスプレーは、捕手がベースを完全にブロックして、セーフをアウトにしていたのが主流だった。もちろん際どい場面でのことで、走者はブロックによりホームにタッチできなかったという意味で、すべてをブロックしたわけではない。

そこで、当時の西武が対抗策として、体当たりを採用する。私は捕手だったのでよく分かるが、完全にホームをブロックしているのだから、走者は行き場がなくなる。そのままぶつかるしかなかった。当然、体当たりする側も無用なケガは避けたい。西武は体当たりのメニューを設け、なるべくケガしないぶつかり方を練習していたと聞いた。

96年6月、西武戦の6回表1死二、三塁から高木大の中飛で本塁を狙った三走清原(右)をタッチアウトにするロッテ捕手田村
96年6月、西武戦の6回表1死二、三塁から高木大の中飛で本塁を狙った三走清原(右)をタッチアウトにするロッテ捕手田村

今度はアウトを体当たりによってセーフにしようという流れになった。

ブロックへの対抗策として体当たりが散見されるようになると、ブロックと体当たりのチキンレースの様相を呈するようになり、特に体格に勝る外国人選手の力任せの激突が、派手さも手伝って話題を呼んだ。

当時のスポーツニュース、珍プレー好プレーでも、何度も激突シーンが放送された。一見すると試合のハイライトとして注目されがちだった。激突が1歩間違えば大けがにつながりかねない非常に危ない場面も続出した。私も後楽園球場での阪急戦で、ブーマーからラリアットを浴びたことがある。差し歯が飛び流血。ベンチで応急処置を受けてから再出場した。

そんな経緯の末でのコリジョンルール採用となる。そして、清原の体当たり(89年4月27日)を現行ルールに当てはめて考えてみると、まずブロックしている時点でセーフということになるだろう。仮に、あの場面でホームの一角を空けていたと仮定しても、簡単にアウトとは言えない部分がある。

ホームの一角を空けていれば、返球の精度が重要になる。少しでもそれれば、捕手は追いタッチになる。このタッチプレーが難しくなった。ブロックが許された時代は、捕手はそのまま両手でミットをホーム上に下ろせばよかった。

それが、コリジョンでは、片手でタッチにいくことが増えた。ミットを走者の足先と、ホームの間に持っていくことになる。ミットからは人さし指が外に出ている。ミットの向きを誤れば、指がスパイクの歯にさらされる。ミットをスパイクとホームの間に置くタイミング、その向きなど、捕手が左手を守りながらアウトにするのは難度が高い。

ビデオ判定があったなら、この場面はアウトになったと思う。それでも映像の角度によってはどう見えるか分からない。捕手、走者にしか本当のところは分からないだろう。

後日、清原があいさつに来てくれて「もう体当たりはやめます。体のあちこちが痛いです」と言っていた。私も「頼むよ」と笑ったのを記憶している。少なくともホーム上での体当たりによって、脳振とうや膝の靱帯(じんたい)断裂などの大けがをするリスクは回避された。全力プレーはすべての基本。その上で、ホーム上のクロスプレーは、望ましい方向に進んだと感じている。(つづく)