<阪神3-5広島>◇2017年(平29)8月16日◇京セラドーム大阪

どうしても人の痛みに寄り添ってしまう性格。あの時、大瀬良大地は無意識のうちに敵味方という大前提を飛び越えてしまった。

17年8月、死球を受け阪神藤浪(左手前)から謝罪を受ける広島大瀬良(右)
17年8月、死球を受け阪神藤浪(左手前)から謝罪を受ける広島大瀬良(右)

2回表1死。制球を乱していた藤浪晋太郎から左腕に「生まれて初めて」死球を受けた。青ざめた表情で頭を下げる姿を目にした瞬間、痛みを忘れて笑顔を作った。「大丈夫!」。とっさにマウンド上へ声を張り上げたシーンが後に、賛否両論を呼んだ。

2人は過去にオフの自主トレを共にしており、親交が深かった。球団の垣根を越えた友情をたたえる声が上がった。一方で、勝負の世界にあるまじき甘さだと指摘する声も出た。

登板翌日、外野芝生を走っていると、当時の緒方孝市監督から手招きされた。

「みんなが戦っている時にああいう姿を見せるのはどうなのか。グラウンドの外では仲良くしてくれたらいい。ただ、戦っている最中は倒さないといけない。そういう感情を持ってグラウンドに立ってくれ」

主戦格としての心構えを静かに諭され、大瀬良は自分自身を見つめ直した。

常に他人を気遣える好青年。人としての本質は簡単には変えられない。変える必要もない。だが、いざグラウンドに立てば、優しさは時に、あだとなる。

「あの一件があって、自分の立ち居振る舞いが周りに影響するんだから、と考えられるようになりました。変わらないとな、と思えるようになったんです」

大黒柱を目指す以上、少なくとも勝負の舞台では「いい人」という殻を破り捨てる必要があるのだと、覚悟を決めた。

それ以来、大瀬良は変わった。迫力が増した。敵チームのファンからメガホンを投げつけられると、ふてぶてしく蹴り返した。

「対戦相手のファンから応援されるのは、本来あるべき姿ではない。少しは敵として認めてもらえるようになったんですかね」

ビジターゲームで強烈なヤジを食らえば、むしろ喜ぶようにもなった。

大瀬良は毎年、山口・周南市内の墓へ車を走らせる。背番号14の大先輩、「炎のストッパー」津田恒実さんが眠る場所だ。津田さんは優しい心の持ち主でいながら、マウンドに立てば闘志むき出しで仲間を鼓舞し続けた。そんな背中を、スタイルを、後輩は懸命に追いかけている。

18年は15勝を挙げて最多勝、最高勝率のタイトルを獲得。19年は3年連続2ケタ勝利を達成。エースへの階段を1歩1歩上り続けながら、あらためて考えることがある。

「投手は野手より高くて一番目立つ場所にいる。もし自分の気持ちが周りに伝染する可能性があるのなら、ドシッとした背中を見せるのが、あるべき姿なのかなと思います」

人生初死球から学んだ大黒柱の心得は今、貴重な財産となっている。(敬称略)

【佐井陽介】