<広島8-10巨人>◇2000年(平12)7月2日◇広島市民

「やっぱり広島はハンパではない」。そう思わせた試合だった。敗戦だし、さほど好ゲームと言える内容でもない。だが監督が1つの勝敗に真剣になっていることを痛感した。

この試合、達川晃豊率いるカープは長嶋巨人に敗れ、春先から必死でキープしてきた貯金を吐き出して勝率5割に逆戻りしている。どんな敗戦記事を書こうか、と考えているときに怒号が聞こえてきた。

00年7月、審判に抗議する広島達川監督(右)
00年7月、審判に抗議する広島達川監督(右)

「エエ加減にせえや!」。当時の広島市民球場はネット裏が狭かった。球団関係者席、さらに審判室は記者のいるスペースのすぐそばだ。怒鳴り声は我々、記者に筒抜けだ。達川監督が審判室に怒鳴り込んだ。

「監督、やめとき!」。木下富雄チーフコーチの声も聞こえ、一層、緊迫感が増していく。しばらくして達川が取材に応じた。「選手は生活がかかっとるんよ!」。興奮冷めやらぬ口調で繰り返した。

この試合のどこに達川が激怒したのか、最初はその理由が分からなかった。広島の先発、山崎慎太郎が1回に4失点し、2回をもたずに降板。しかし広島打線も巨人上原浩治を攻め、2回途中でKOしている。一時は広島が逆転する場面もあったのだが、打撃戦の末、広島は負けた。

取材で分かった達川の怒りは1回だった。立ち上がりから苦しんでいた山崎が1失点後、松井秀喜に四球を出した場面だ。フルカウントから投じた微妙な球を「ボール」と判定された。走者がたまり、そこから失点が続いた。

「松井への最後の球はストライク」。バッテリーにも確認し、そう思い込んでいた達川はモヤモヤが晴れなかった。その思いが試合終了直後に審判室に乗り込む“暴挙”につながった。

「あれは絶対にやってはいかんことよね。捕手だった現役時代から審判にストライク、ボールの抗議はいかんと知っていたのに。でもあのときは我慢できんかった。山崎は球団に頼んで取ってもらった投手だったんよ。ベテランだったし、本当に1球の判定で人生が変わる。そう思ったらね。でもいかんこと。あれから反省したよ」

20年前を振り返り、達川は言う。そのシーズン限りで広島監督を辞任。その後も阪神、ソフトバンクなどでコーチを務めたが、この経験を元にその後は審判に対し、強い抗議はしなかったという。

プロ野球で監督が抗議する姿はそれまでのオリックス、阪神などの担当時代もたまに見た。しかし試合後に監督が審判室に怒鳴り込む様子を経験したのは初めてだった。

抗議を美化するつもりはない。それでもチームを率いる監督の1つの勝負にかける必死さ、選手を思う気持ち、その覚悟を感じた。そんな思いがあまりにもストレートに出た場面だったと記憶に残っている。(球場名など当時、敬称略)【編集委員・高原寿夫】