「球児たちの夏」が終わった。高校球児たちの挑戦を、間近で見て、聞いて、思ったこと。担当記者たちが回顧録として記す。
甲子園は、家族の物語が書きたくなる場所だ。紆余(うよ)曲折があってここまで歩んできたのか、どんな努力があって聖地にたどり着いたのか。1人1人にインタビューしたくなる。取材を進めるにつれて、試合を見る自分の肩にも力が入ってしまう。
「このユニホームの重みをすごい感じます」。日大三(西東京)の針金侑良(はりがね・ゆら)外野手(3年)が、しみじみと自分のユニホームを見た時の表情が忘れられない。3回戦でおかやま山陽(岡山)に敗れた時も、ぐっと涙をこらえて前を見据えていた。
憧れていたユニホームだった。父の義雄さん(49)は、今年4月に就任した三木有造監督(49)と同期で投手としてプレー。その父の影響で、小3から野球を始めた。中学時代は東練馬シニアで投手として137キロをマーク。当時から190センチあり、注目を集めてテレビ番組の「ジャンクSPORTS」に「天才キッズ」として出演。谷繁元信氏(元中日監督)や森本稀哲氏(現日本ハムコーチ)と対戦し抑えたという。そして父の背中を追い、日大三に進学した。
投手として入部したが、ケガに悩まされた。元々、体格をいかした打力もあり、徐々に外野手としての出番が増えていく。それでも「ピッチングはずっとしていましたよ」と義雄さんは明かす。投手としての思いは捨てきれなかった。肘を痛め、制球難にもなった。2年の3月、自分の中で区切りをつけた。「打者でいこうと思いました。もう未練はないです」。
目指してきた甲子園のマウンドには立てなかったが、4番としてプレーした。アルプスから見守った義雄さんは「自分が立てなかった甲子園に息子が立っているのは、感慨深いものがありました」と声援を送った。
針金が守る左翼にボールが飛ぶと、日大三のアルプスは一気に盛り上がった。「捕ってくれ!」。普通のフライでも、グラブに収まれば大歓声が沸く。外野手歴が浅く、今でもちょっと守備は苦手。「自分が捕ると盛り上がるんです(笑い)。守備からチームに流れがくると思ってます」。
親子で着た日大三のユニホーム。針金は「父が誘ってくれたから野球を始めた。たくさん助けてもらって、感謝しています」。野球は大学進学して続ける予定で「ここぞで打てるバッターになりたい」。エースにはなれなかったが、苦しんだ分だけ成長した4番打者になった。【保坂恭子】





