全国高校野球選手権は沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた。酷暑の甲子園で球児を追いかけた担当記者が、書き残したエピソードを紹介する。
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東洋大姫路の阪下漣投手(3年)は、けがを乗り越えて最後の夏を甲子園で終えた。兵庫大会では登板しなかったが、甲子園では復帰戦を含めて2試合に登板。「このメンバーに支えられたからこの舞台を踏めた。県大会ではチームに貢献もできずに甲子園に連れてきてもらって。結果を残して恩返ししようと思ったんですけど、できなくて…。チーム全員が自分のことを思って声をかけてくれた。感謝しかないです」と仲間への思いがあふれた。
昨秋は背番号1としてマウンドからチームを引っ張った。兵庫と近畿を制し、明治神宮大会でも4強入り。センバツ出場へ導いた。ただ、センバツ中に右肘靱帯を損傷し、わずか23球で降板。万全な状態からは程遠かった。
復帰へ向けて医師からは「手術」か「保存療法」の選択を迫られた。同席した父渉さん(47)は「漣は即決でした。すぐに保存療法を選びました。迷う様子はなかった」と振り返る。
決断の理由を阪下本人はこう明かす。「当初は先のことを考えて手術しようと思ったんですけど、キャプテン(渡辺拓雲)や高畑(知季)や白鳥(翔哉真)が、『もう1回夏に甲子園出よう』と言ってくれて、木下(鷹大)が『夏は甲子園に連れていったる』と言ってくれたので。その声かけが自分の中で響いた」。苦楽をともにしてきた同級生の言葉が胸に刺さった。
懸命にリハビリに取り組んだが、不安もあった。「靱帯が切れてしまったら手術。切れるリスクがあることは自覚した上でリハビリも頑張ってきた」と常にリスクと隣り合わせの状態だった。仲間との約束を果たすために、トレーナーとともに1歩ずつ慎重に前へと進み続けた。「賭けないと悔いが残るだけ。イチかバチか賭けています」。兵庫大会中にはそんな言葉も漏らした。
兵庫大会では阪下の登板はなかったが、チームは14年ぶりに夏の兵庫を制覇。そして、花巻東との2回戦で復帰登板を迎えた。木下のあとを受け、1回を2奪三振無失点で締め、マウンド上で笑顔が戻った。復帰2戦目の沖縄尚学との準々決勝では先発。自らの失策もあり、2回途中2失点。結果的にこの2点が敗戦につながり、「結果で恩返ししたかった」と悔やんだ。
それでも地元西宮にある甲子園で高校野球を終えた。仲間との日々を振り返り、「ずっと背番号1を背負わせてもらって、正直挫折することが少なかった。うまいこといくんだろうなという未来予想をしていたけど、不意なけがで苦しめられて、けがって怖いなとわかりましたし、チームにも甲子園で迷惑をかけてしまったのが一番ふがいない。このチームで最後まで野球ができたことに感謝したいし、そこに後悔はない」と言った。
今後は将来的なプロ入りを目指して大学へ進学予定。「大学でもう1回初心に戻った気持ちで鍛え直して、最終的にはプロの世界で活躍したい」。東洋大姫路で仲間と過ごした日々は今後の野球人生の土台となる。【林亮佑】





