3年と4年は違う。作家・浅田次郎が以前、そんな話を航空会社の機内誌に書いていた記憶があって、そのときも強く同意してしまったのだけれど「4年」という年数はなかなか独特だ。

五輪もサッカーW杯も4年に1度。親類の子どもが見違えるように成長するのも4年ぐらい。3年は早く、5年となれば長いが4年は微妙な感じだ。中学、高校までは3年が1つの区切り。だが大学は4年だ。たった1年の違いだけど、これがなんだか妙に違う。

転勤でも「3年」はよく聞く。その1つの区切りを超えた「4年」という年数。もちろん感じ方は人それぞれだろうけれど、なんとも言えない時間の流れのような気がしている。

プロ野球の監督も3年やれば普通という感じだろうか。阪神指揮官・矢野燿大は22年シーズンが4年目になる。50年の2リーグ分立後、阪神で4年目の指揮を執った監督は矢野で6人目。最近では和田豊以来だ。

過去5人、つまり松木謙治郎、藤本定義、中村勝広、岡田彰布、そして和田の中で4年目のシーズンに優勝しているのは藤本だけ。もっとも藤本の場合は61年途中から就任し、64年に優勝している。

阪神監督を3年務めた知将・野村克也は自身が正捕手にすえた矢野について、生前、いろいろな分析をしていた。例えば「あぁ、阪神タイガース」という書籍の中ではこんな風に語っている。

「矢野のリードにも物足りなさを感じていた。あまりにもセオリーに忠実すぎるのだ。つまり外角主体の無難なリードはほとんどなのである。ただ彼は非常にまじめだったし、私の話もよく聞いていた。大いなる勉強意欲を感じさせた」

その野村は南海監督就任4年目の73年に初優勝している。同じく矢野に影響を与えた闘将・星野仙一は中日、阪神でそれぞれ就任2年目での優勝だ。

阪神に限れば野村も星野も4年目はなかった。年数で矢野は2人を超える。2軍監督、コーチの経験があっても1軍の指揮とは違うはず。監督として戦った過去3年の経験をどう生かすか。野村が言った「勉強意欲」がどう出るか。

捕手出身の共通項で、はたして「4年目の初優勝」はあるだろうか。派手さはないけれど、22年シーズン、阪神最大の注目点はそこでは…。新しい年を前にそんな気がしている。(敬称略)

77年、南海監督時代の野村克也氏
77年、南海監督時代の野村克也氏