箕島・尾藤公元監督は、記録にも、記憶にも強く残る指導者だった。

特別表彰の候補入りの一報を聞いた長男で箕島元監督の強さん(51)は「家族として、ありがたい限りです。本気で相手と向き合い、ぶつかっていった。また、本気でぶつかっていける幸せな時代に監督をやらせていただきました」と、選考に感謝した。

監督に就任した69年夏、3年生が1年生をしごく姿に激高。3年生を殴ろうとして、相手の目に映った自身の形相を見て我に返った。選手を座らせ、話を聞き「ボール拾いも打撃投手もみんなが一生懸命にやって、1つになって勝利を目指せる。そんなチームを作るのが仕事」と悟った。

「子どもをひきつけるための努力を続ける。人間的な魅力にあふれた指導者なら、子どもはついてくる」が信念。グラウンドの指導だけでなく、本を読み、選手の心に響く言葉を探した。79年春夏連覇など、甲子園制覇を喜び合った教え子だけではない。「仕事で社会、家族に貢献する。そういう人間を世の中に送り出せた。監督業は天職でした」と強さんは思い起こす。

「強いだけじゃ、厳しいだけじゃ、優しいだけじゃあかん」が父の口癖だった。「史上最高の試合」と言われる79年夏の甲子園3回戦・星稜(石川)戦。圧倒的な熱量と包容の指導が選手の力を極限まで引き出した、唯一無二の熱戦だった。【堀まどか】