宮崎商が富島に4-3で競り勝ち、3年ぶり6度目の夏の甲子園出場を決めた。二刀流でプロ注目の最速146キロ右腕、中村奈一輝(ないき)内野手(3年)が好リリーフで4回2/3を1安打無失点。“胴上げ投手”になった。前回21年夏は甲子園に出場しながら、チーム内のコロナ禍で不戦敗。戦わずして聖地を去った先輩たちの思いを胸に、まずは令和初の県勢甲子園1勝を目指す。
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宮崎商の中村はピンチで息を整え、集中力を極限まで高めた。
「1球も気が抜けない。自分が最後のアウトを取るつもりでいった」
1点リードで迎えた9回2死二塁、一打同点の場面。相手3番をチェンジアップで芯を外し、つかんだボテボテのゴロを一塁へ大事にトス送球。右のこぶしを突き上げた。
「ちょっと甲子園球場が見えました(笑い)」
3年ぶり、6度目の優勝だ。歓喜の輪でナインと体を思い切りぶつけ合った。大会中にぎっくり腰を発症したというが、痛みをこらえて投げたかいがあった。「よっしゃ~!」。中村らナインの雄たけびが晴天のスタジアムに響き渡り、三塁側スタンドも総立ちだった。「約800日間、仲間と高校野球生活をやってきて、最高の形で(県大会を)終われた」。
二刀流でプロ注目の最速146キロ右腕。3-3の5回1死一、三塁の大事な場面に3番手で登板した。先頭に四球で満塁のピンチを招いたが、後続を二ゴロでのホーム封殺、右飛に仕留めて火消しに成功。4回2/3を1安打無失点の好リリーフだった。奈一輝(ないき)の名前の由来は、ギリシャ神話の勝利の女神「ニケ」だった。英語の発音は「ナイキ」で、父重人さん(64)が命名。名前通りの活躍で、チームを甲子園に導いた。
前回出場時の21年は、新型コロナウイルス禍に泣いた。集団感染で甲子園大会史上初めての不戦敗。黒土を踏むことなく、聖地を去る悪夢だった。3年生たちは当時、中学3年生。「ニュースを見て衝撃だった」(中村)。3年生部員33人と例年より多いのは、3年前に宮崎の頂点をつかんだ先輩に憧れた選手が多いから。「1試合もできなかった先輩たちの分も借りを返したい。そういう責任はあります」と強い覚悟をにじませた。宮崎県勢は直近4大会連続、甲子園の初戦敗退中。令和初の県勢聖地1勝で、まずは3年前の無念を晴らす。【佐藤究】
◆中村奈一輝(なかむら・ないき)2006年(平18)8月16日生まれ、宮崎市出身。小学3年でソフトボールを始め、宮崎西中では県央宮崎ボーイズに所属。宮崎商では1年春からベンチ入り。好きなプロ野球選手はソフトバンク周東佑京。50メートル走6秒0、遠投115メートル。183センチ、70キロ。右投げ右打ち。
宮崎商・橋口光朗監督(36)「(21年は甲子園で)1試合も戦えなかった。今日は応援で当時の3年生がスタンドに来ていて、いい報告をしたいと思っていた。こみ上げるものがあります」
◆宮崎商 1919年(大8)創立の県立高。生徒数は765人(女子531人)。野球部は1919年創部で部員数は55人(うちマネジャー7人)。甲子園出場は春3度、夏は6度目で、過去最高成績は64年夏ベスト4。主な卒業生は元近鉄の小川亨、元広島の水谷実雄ら。所在地は宮崎市和知川原3の24。堀切康博校長。
◆Vへの足跡◆
2回戦5-3佐土原
3回戦2-1宮崎学園
準々決勝3-1宮崎日大
準決勝4-1日南学園
決勝4-3富島

