高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝を挙げた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が17日、死去した。81歳だった。神奈川県出身。高校野球界で一時代を築き、松坂大輔ら数多くプロ野球選手を育てた名将だった。

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穴があったら、当時の自分を放り込みたい。人生最大の無礼を渡辺監督にしてしまった。02年、大学3年生で就職活動に挑む私は、心の支えがほしかった。無知は、若気の至りは、本当に恐ろしい。私は面識のない渡辺監督宛てに郵便を出した。

「渡辺監督がおっしゃったあの言葉が大好きです。もしよろしければ同封した色紙にお言葉をいただけませんでしょうか?」

書いていてあらためて恥ずかしくなる。究極の無礼だ。せめて横浜高校の長浜グラウンドまで頭を下げにいけよ、21歳ー。

それでも渡辺監督は多忙な中、私のあて名入りで返送してくれた。無礼はまだある。日刊スポーツに入社し、すぐに横浜高校の取材機会があった。練習試合の会場からバスで一緒に横浜高校まで送っていただくと、監督は部員たちと一緒に寮へ入っていく。30分待つ。誰も出てこない。あ、帰ったほうがいいのかな。

上大岡駅で急行を待っていたら、電話が鳴った。渡辺監督だった。「今どこにいるの? えっ、帰っちゃったの? なんだ、一緒にすしでも行こうと思ったのに」。上長からはすでに渡辺恒雄氏のホテル張り込みを命じられており、相談したが「今夜は渡辺監督よりナベツネな」とダメだった。せっかくのお誘いなのに何やってるんだ、23歳-。

その後しばらくは、頻繁ではなくともお会いするたびに2つの無礼を謝った。「ハハハ、そういえばそんなこともありましたねぇ」といつもさらっと流してくれた。その器の大きな優しさに、ちゃんと社会人として勉強せねばと自省の思いを強めさせられた。

24年にアマ野球担当に戻った。一度ゆっくりお話を伺いたく相談した。「最近は妻と2人で静かに暮らしていてね。何日か前に前もって連絡をくれれば、駅前の喫茶店にでも行きますよ」と優しかった。一度連絡したがタイミングが合わずお流れに。そしてそれきりに。くどくても、四半世紀前の無礼をまた謝りたかった。御礼も伝えたかった。「目標がその日その日を支配する」。45歳になっても私の日常の柱で、色紙は実家に飾ってある。人生の宝物をありがとうございました。【金子真仁】