プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月19日付紙面を振り返ります。2005年の1面(東京版)はヤクルト古田敦也捕手の選手兼任監督就任決定でした。
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ヤクルト古田敦也捕手(40)が選手兼任監督に就任することが18日、正式に決まった。この日東京・新橋のヤクルト本社を訪れ、多菊善和球団社長(69)と会談。条件面も含めて合意に至った。監督としては年俸8000万円の2年契約、選手としては年俸2億5000万円の1年契約。合計年俸は3億3000万円となり、監督としては史上最高額となった。選手兼任監督は77年の野村克也氏(70=南海、現シダックス監督)以来。通常より短い2年契約とまさに不退転の決意で、29年ぶりの大役に挑戦することになった。(金額は推定)
強い口調に決意が満ちていた。ヤクルト本社1階ロビー。この1年考え続けてきた去就の結論を、古田は初めて声に出して伝えた。「大変な仕事なんですけどやらせていただくことになりました」。兼任かとの問いには「ハイ」とひときわ力強い答えを返した。迷いはない。77年の野村克也氏以来、29年ぶりとなる選手兼任監督の誕生だった。
重責を背負い込んでも期待に応えたかった。選手1本、専任監督などいくつかの選択肢がある中で、周囲からの「兼任監督」を推す声に心を決めた。
古田 大役をやってくれと言われるのは光栄なこと。体力面や精神面で大変なのは重々承知していますが、期待に応えたいと思って決断しました。ファンの方の声もそれが一番多かった。そういう期待にはプロ野球選手として応えないといけないと思った。
ブログ等によって、直接届いたファンの声も後押しした。
負担は単純に考えても2倍になる。選手としても40歳の肉体には消耗が大きく、注目を集める監督業では肉体的、精神的なプレッシャーがのしかかる。ましてや役割分担の進んだ現代野球。選手が少なかった時代には多くいた兼任監督が、野村氏を最後に出ていない事実がその困難さを物語る。それでも29年ぶりの兼任監督は「やると決めたからにはハラくくってます」と言い切った。
異例の立場だけに破格の待遇も用意された。選手年俸は今季の3億円から約17%ダウンの2億5000万円となったが、監督年俸は8000万円。合計3億3000万円は、選手兼任とはいえ監督年俸としては、史上最高額のロッテ・バレンタイン監督の2億5000万円を抜いて、球界最高年俸監督となる。
そして契約は2年。野村氏、若松監督ら就任時は3年契約だっただけに短いが「何年契約でも監督は責任を取らなきゃいけないですから」と逃げ道は頭になかった。「補強ではなく個々のレベルアップが必要。長所を伸ばしてスペシャリストを増やしていかないと。粘り強く、ひたむきに、がむしゃらにやっていかないと、強い相手には勝てない」と監督としての意欲もあふれていた。
選手としても、自分から後輩に席を譲るつもりはない。「秋季練習からバリバリやりますよ。捕手の人は僕を追い越せ、追い抜けでやっていると思う。僕を追い抜くように頑張ることで本当のレベルが上がる。競争の世界ですから、力のない人は出られない。その辺は客観的に見ています」。監督でありながら、レギュラー死守に全力を挙げる覚悟だった。
ヘッドコーチは信頼の深い伊東昭光投手コーチ(42)の昇格が決まった。こちらも投手コーチとの兼任となる。監督としての始動は25日からの秋季練習。来月4日には愛媛・松山で秋季キャンプが始まる。「ファンの皆さまには期待して頂きたいと思います」。大きな期待を背に、異例ずくめとなるであろう古田の挑戦が始まった。
◆古田敦也(ふるた・あつや)1965年(昭40)8月6日、兵庫県生まれ。川西明峰から立命大、トヨタ自動車を経て89年ドラフト2位でヤクルト入団。90年に新人捕手では史上初のゴールデングラブを獲得。91年にはセ・リーグ初の捕手首位打者に輝いた。93、97年にMVP、ベストナインは9度、ゴールデングラブは10度獲得。今年4月には史上32人目の通算2000本安打を達成。98年から労組日本プロ野球選手会の会長を務め、球界再編の昨年はグラウンド外でもリーダーシップを発揮した。今季96試合で打率2割5分8厘、5本塁打、33打点。通算成績は1962試合、7033打数2069安打、217本塁打、1001打点、打率2割9分4厘。夫人は前フジテレビアナウンサー中井美穂さん。180センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3億円。
※記録と表記は当時のもの



