異国の地で通算2000本目の安打を放っても、オリックスのアダム・ジョーンズ外野手(35)は自然体だった。5回に西武武隈から左中間へ適時二塁打を放って偉業達成。胸を張って記念パネルを掲げた。

「ここまでMLBで14年間、日本で1年間、高いレベルの中で大きなケガもなく、健康でやってこれたことに感謝したい」

マリナーズ時代の06年7月14日に初安打。その後14年間でメジャー通算1939安打を放って、海を渡った。自宅でオーディー夫人とは何度も話し合った。最後は妻が勧めてくれ、家族と大きな決断をした。「この喜びを家族と分かち合えることにも感謝したい」。

守るものがある。愛用するグラブには、息子のオーガストくん(6)ら家族の名前を刻む。ポケット部分には背番号10をつけたアメフト選手のロゴ。今でもアメフト中継が始まれば、かじりつく。童心を忘れない。幼い頃に憧れた夢を、今も胸のどこかにもっている。

10歳で野球に熱を持った。その頃に「リーダーでありなさい。あなたらしく生きなさい。何事にも立ち向かいなさい」と祖母や母から金言を授かった。左肩には「最愛の人」と表現する2人の名前をタトゥーで刻んでいる。

「これまで応援していただいたファンの皆様に感謝します。ここまで携わってくれたチームメートや監督、コーチ、トレーナーやスタッフ、すべての人のおかげです」。

見た目はゴツイが、中身は少年そのもの。初心を忘れない。近所の公園で野球を始めた頃のように、純朴に仲間を大事にする。だから、ジョーンズは愛される。家族やファンからも、野球にも。【真柴健】

◆外国人選手の日米通算2000安打 日本で到達したのは13、14年に楽天でプレーしたアンドリュー・ジョーンズ以来。ロッテに2度在籍したフリオ・フランコは最初に来日した95年に米通算1922安打を記録しており、日本で大台に到達している。来日時に大リーグ通算2000安打以上を記録していた選手は、83、84年に巨人でプレーしたレジー・スミスら4人がいる。