ロッテ佐々木朗希投手(19)が実戦デビューする。2番手として1イニングを投げる予定。

553日ぶりの実戦登板になる。19年9月6日、高校日本代表の一員として参加したU18ワールドカップで、スーパーラウンドの韓国戦に先発した。当時を振り返る。

最速163キロ右腕として、ライバル国からも注目された。宿泊先は他国代表チームと同じ。エレベーター内で「ササキ!」と声を掛けられることもあったという。試合の舞台は、韓国・釜山から車で小1時間ほどの現代車ドリームボールパーク。韓国戦はナイターで行われた。先発するも1回無失点で降板した。投球数は19。ユニホームに赤い斑点がついていた。

同年8月26日の大学日本代表との壮行試合(神宮)に先発した。初回に右手中指の血マメがつぶれて降板した。その後はノースロー期間も含め調整したが、復活登板で再発してしまった。リリーフ待機した5日カナダ戦途中のブルペンでは、直球が160キロに迫るような白熱の投球を見せた。結局登板機会はなく、翌6日に先発へ。しかし試合前のブルペンからやや制球が乱れていた。

試合では、NPBスカウト所持のスピードガンでの計測で、直球は最速153キロをマーク。3番の強打者への5球連続直球は全て148キロ。7球連続ボールもあった。2死後に永田裕治監督がマウンドへ向かい、マメがつぶれていることを確認。佐々木は続投を志願するも「あと1人、この回だけ」ということに。4番打者から空振り三振を奪い、降板した。

中指の血マメは初めてのことだった。7月末の岩手大会敗退後に、早々に練習を再開。関係者によると、夏の疲労を抜きつつフォーム固めをする中で、マメの兆候が表れたという。W杯使用球も試投していたが、そのメーカーの球は夏の岩手大会では使われていなかった。いくつかの要素が重なっての不運だった。

強豪私立校に比べれば、大船渡高は練習の絶対量は少なかった。選手たちの自主性が尊重される環境でもあった。プロ入り後、首脳陣やトレーナー陣が細心の注意を払いながら肉体強化に励み、いよいよゴーサインとなった。長いイニングを投げるのはもう少し先の話。着実に段階を踏みながら、先発デビューを目指す。【金子真仁】