日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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プロ野球は幾度も危機にさらされてきた。日本で初めて新型コロナウイルス感染者が確認されたのが20年1月15日だから、2シーズンが過ぎても収束に至ってはいない。

コミッショナーの斉藤惇は、開幕から満員の集客を想定していると明言するが現状を考えると不透明と言わざるを得ない。キャンプの成否は開幕に影響を及ぼすから緊迫したキャンプになる。

ただピンチに見舞われるたびに救世主の存在は現れる。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件の年は海を渡った野茂英雄が活躍し、東日本大震災後は星野楽天が復興への光明になった。

依然としてコロナ禍で重苦しい今年は新庄剛志なのだろう。04年(平16)パ・リーグ消滅が漂った球界再編が起きたオールスター戦で史上初の単独ホームスチール成功で盛り立てた。

ストライキ明けの公式戦が再開したダイエー戦でサヨナラ満塁本塁打を放つも走者を追い越し、記録は「単打」に。確信犯を感じさせるパフォーマンスもフォア・ザ・パリーグを感じさせたものだ。

その年、新庄が重篤の少女を札幌の病院に見舞ったときのことだった。「きっと大人になったらモデルになれる。絶対治るから…」。そう励ましてパソコンのカバーにサインをして病室を後にした。

「今日は君のために打つから」と手を握って別れた男は本当にその日のオープン戦でホームランを放つ。勇気づけられた彼女は「1パーセントでも生きる可能性があるなら」と米国に転院したが、その後息を引きとった。

だれしも自分の力ではどうにもならないこともあるが、リーダーシップでチームを栄光に導いたかつての名将は、人を動かす“言葉力”にたけていた。この春は新庄語録がスポットを浴びるのだろう。

ターニングポイントになったのはメッツ移籍だろう。特にフロリダキャンプでポートセントルーシーのプチホテルで過ごした日々は感慨深い。ちやほやされてきたプリンスにとって不自由もあっただろうが、今までにないボギャブラリーを身につけたからだ。

古い付き合いの中で思いやりと気遣いができる印象を持ったのは、阪神の福井遠征でグラウンドからみえる拙者の先祖代々が眠る足羽山に、亀ちゃん(亀山努氏)と手を合わせてもらった光景に遭遇したときだ。

ちょうど1年前の2月、阪神沖縄キャンプで人生初のキャンプリポートを試みた。「監督のオファーはきてません」と自ら切り出した後「でも教えてみたい気持ちはあります」と付け加えていた。

本人にとっても、まさかのオファーだったことだろう。日本ハム監督就任は自身が引き寄せた強運だった。気負いはない。それでも将として勝ちは求められる。新庄劇場の「監督編」が幕を開けた。(敬称略)