中西太さんから電話が入った。

「村上はどうなってる。56号を打たせてやってくれ」

受けたのはヤクルトの杉村繁打撃コーチ(65)。昨年9月。村上宗隆内野手(23)が55号を放ってから60打席もの間、日本選手最多記録となる56号が出なかった時に、心配する内容だった。

「俺の名前が出るからうれしいんや」と言いながら神宮を訪れたのは19年。村上が高卒2年目で36本塁打を放ち、中西さんの最年少記録に並んだ年だった。杉村コーチは「いつも通りのドヤ声でムネ(村上)に激励していた。あの時はお元気でした」と振り返った。

「中西さんの教えが今のヤクルトの練習に継承されている」とも語る。コーチや代理監督を務めた時分に中西さんが手がけたトレーニングの数々は「下半身で強い打球を打て」という哲学がある。村上が昨季、キャンプで実施した畳の上でのスイングもその1つだ。

技術面だけでなく、人を乗せるのもうまかった。「選手に声をかけて、自分で投げて、きつい練習でも楽しくさせる素晴らしいコーチでした。私が現役時代、おこがましくも『中西2世』と言われてね。でもあんな成績は超えられないですよね。だからコーチでなら超えられるかなと思ったんですけど、足元にも及びませんでした」。

訃報に触れ「90歳という年齢でしたが、もうちょっと長く見守ってほしかった」と遠くを見つめた。