黒潮“イケメン”二郎(26)は、トレードマークのジャケットを脱ぐこともいとわない。3月いっぱいで武藤敬司が起こしたW-1を退団したイケメンが、フリーとなって5月から始動する。プロレスの世界最高峰WWEを目指し、入場パフォーマンスや、ジャケット着用のプロレススタイルも見直し、心機一転スタートする。

独特のスタイルでプロレス界に新風を吹き込んだ。派手なジャケットを着てプロレスをするだけではなく、リングに入りそうで入らない入場パフォーマンスで人気が沸騰。福山雅治の「HELLO」の入場曲がかかると、観客は狂喜乱舞。W-1だけでなく、他団体でもイケメンが出ると、人気を独り占めした。

ジャケット姿で必殺技を披露する黒潮“イケメン”二郎(撮影・滝沢徹郎)
ジャケット姿で必殺技を披露する黒潮“イケメン”二郎(撮影・滝沢徹郎)

ジャケットと入場は、ファンに自分を知ってもらうために始めた。イケメンのナルシシストキャラをイメージし、手鏡を持った。ジャケットもお気に入りの生地を持ち込んでの仕立てで1着10万円ほどのものを6、7着持っている。1回5分以上という長い入場パフォーマンスも、レフェリーやお客をじらすことで、逆に人気が出た。プロレスを始めた当初の給料は月に2万円。それが、W-1では人気上昇に伴い、団体トップ級の月給となった。安定したレスラー生活を捨てて、イケメンはゼロからの挑戦を選択した。

「W-1に入って人気者になって満足している自分がいた。でも、何て小さい世界にいるんだと感じるようになった。この速度でやっていたら、このままおじさんになっちゃう。26歳だし、残り4年間、大きな目標のために頑張ってみようと考えた」

3月いっぱいでの退団を発表すると、イケメンの元に米国からメールが届いた。WWEのビッグイベント「レッスルマニア」と肩を並べるレッスルコンという大会主催者からの出場依頼だった。4月5日、米ニューヨークのヒルトンホテルで、米プロレスデビューを果たした。

「プロレスに対する考え方が変わった。プロレスってこんなに自由なんだ。ボクのプロレスは入場8割、試合2割だったけど、試合8割じゃないといけないと思った。試合が良ければチップももらえるし。WWEへの気持ちが高まった」

帰国して、やるべきことも決まった。5月からは、フリーとして日本の団体に上がりながら、米国行きの準備を始める。実家のある東京・竹ノ塚の英会話教室に申し込んだ。フリーでの最初の試合は5月7日、後楽園ホールでのTAKA・タイチマニアに決まった。6月も4試合ほど出場する。その後は、WWEの入団テストを受けるところまでこぎつけた。

「ジャケットを脱ぐことも、新たなオレの始まりだと思っています。WWEに入って、辞めて日本に戻ってくるとき新日本プロレスから欲しいと思ってもらえるようなレスラーになるのが夢ですね」

イケメンの挑戦がいよいよ始まる。【桝田朗】

母校の中学校の前でポーズを決める黒潮“イケメン”二郎(撮影・滝沢徹郎)
母校の中学校の前でポーズを決める黒潮“イケメン”二郎(撮影・滝沢徹郎)

◆黒潮“イケメン”二郎 本名・樋口壮士朗。1992年(平4)9月19日生まれ。東京都足立区出身。リングネームは実家の居酒屋「鍋屋黒潮」の屋号から。11年12月30日にW-1でデビュー。180センチ、80キロ。