新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロレス興行は止まり、各団体のタイトル戦線も休戦状態だ。この機にプロレス界の主要ベルトの歴史をひもとき、その価値をあらためて探る。第1回は新日本プロレスIWGPヘビー級王座。

新日本IWGPヘビー級選手権 マサ斎藤を下し王者に輝いたアントニオ猪木は祝杯をあげる(1987年6月12日)
新日本IWGPヘビー級選手権 マサ斎藤を下し王者に輝いたアントニオ猪木は祝杯をあげる(1987年6月12日)

◆創設 アントニオ猪木が、世界に乱立するベルトを統一して、真の世界王者を作るためのリーグ戦を構想。83年6月2日、「IWGP=International Wrestling Grand Prix」第1回を開催。日本、北米、米国、中南米、欧州代表計10人で争われ、米国代表ハルク・ホーガンが決勝で猪木を失神KOさせ、優勝を果たした。第5回大会の87年からタイトル化され、初代は猪木。100キロ以上の選手が対象だったが、現在制限はなし。

武藤敬司をスリーパーで攻める天龍源一郎。49歳10カ月は最年長戴冠(1999年5月3日)
武藤敬司をスリーパーで攻める天龍源一郎。49歳10カ月は最年長戴冠(1999年5月3日)

◆最年長戴冠 第25代王者天龍源一郎の49歳10カ月。タイトル戦は99年12月10日、大阪府立体育会館。当時の王者武藤敬司に北斗ボム2連発を決め、26分32秒で勝利。「大阪へ向かう新幹線の中で『リストラされたっていうおっさんに、頑張ってくれ、と言われた』。(中略)まだまだ現役であることは『きょうは肝臓が破裂するまで飲みますよ』の言葉に凝縮されていた」(翌日本紙)。これでベイダーに続き、日本人選手初の全日本3冠ヘビー級王座との両メジャー制覇を達成。華麗な技を持つ武藤に逆水平など武骨な攻めに徹し、昭和のプロレスラーの意地を見せた試合だった。

天山広吉を倒し史上最年少でIWGP王者となった中邑は雄たけびを上げる(2003年12月9日)
天山広吉を倒し史上最年少でIWGP王者となった中邑は雄たけびを上げる(2003年12月9日)

◆最年少戴冠 第34代王者中邑真輔の23歳9カ月。03年12月9日、王者天山広吉に逆十字固めで勝利。最年少、かつデビュー最速戴冠。その後、大みそかのDynamite!!でイグナチョフ(ベラルーシ)と、年明け1・4東京ドーム大会で高山善広と戦うなど連戦のダメージで、2月に王座返上。当時は総合格闘技ブーム。中邑は王者として総合のリングでも活躍し、若きエースとしてプロレスというジャンルのプライドを守った。

最多戴冠は棚橋の8度。ケニー・オメガを下しベルトを巻いてエアギターを披露(2019年1月4日)
最多戴冠は棚橋の8度。ケニー・オメガを下しベルトを巻いてエアギターを披露(2019年1月4日)

◆最多戴冠 棚橋弘至の8度。06年2月の初戴冠以来、新日本のエースとして団体の人気回復に貢献してきた。膝のけがを乗り越え、19年1・4ドーム大会で約4年ぶり8度目の王者に返り咲き、「『初めて巻いたよう』と新鮮な喜びにつつまれた」(翌日本紙から)。

最多防衛はオカダ・カズチカ。ベルトを巻きポーズを決める(2013年5月3日)
最多防衛はオカダ・カズチカ。ベルトを巻きポーズを決める(2013年5月3日)

◆最多防衛 オカダ・カズチカが12度の最多連続防衛、30度の最多通算防衛記録を持つ。20年1月5日のIWGPヘビー、同インターコンチネンタル(IC)両王座戦で内藤に敗れ陥落も、その実績は現在の日本プロレス界でずぬけている。オカダはIWGPヘビー級王座を「金メダル」と表現。昨年12月の王者時代には「世界一の団体のチャンピオンだから、世界一のプロレスラー。僕以上のことができる人はいない」と言葉を残している。

◆返上 王座返上、剥奪合わせ過去10度。88年初代王者猪木がジョギングで左足を痛め返上。第3代藤波、第16代橋本はともに日米ソ3国代表トーナメントにベルトをかけて権威を高めるため。第22代蝶野は身内の不幸。第26代佐々木は川田に敗れたため。第29代藤田は右アキレス腱(けん)断裂。第34代中邑は前述。第37代ボブ・サップは総合の試合に藤田に敗れたのをきっかけに返上。第44代ブロック・レスナーは契約問題により剥奪。第52代棚橋は09年G1準決勝中邑戦で右目眼窩(がんか)内側壁骨折で長期離脱のため。