プロレスラー大仁田厚(59)が31日に東京・後楽園ホールで行う引退試合の相手が、9日に東京・台場で行われた「ノーロープ有刺鉄線四面電流爆破&&有刺鉄線電流爆破バットマッチ 時間無制限一本勝負」で初対戦した藤田和之(46)に決まった。10日、大仁田厚事務所が発表した。

 カードは9日と同じ大仁田、雷神矢口、保坂秀樹の邪道軍対藤田、藤田の代理人ケンドー・カシン(49)、NOSAWA論外のはぐれIGF軍との6人タッグマッチ。「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!! ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」と題した。

 大仁田は9日に、電流爆破マッチダブルヘッダーの2試合目に、はぐれIGF軍と対戦。還暦間近で、史上初のダブル電流爆破マッチに挑んだ疲れからか、カシンと論外に有刺鉄線に振られ、電流爆破のえじきになった。その後、藤田とカシンに有刺鉄線に振られ、再び爆発に巻きこまれ、もん絶。最後は、藤田とカシンによる有刺鉄線電流爆破バット2本の挟み撃ちを食い、大爆発に巻きこまれて昏倒(こんとう)。4分35秒、論外に体固めでフォールされた。

 藤田は試合後、無言で会場を後にし、カシンは「引退試合は今回で終わったんじゃない? 10・31は必要ない」と、再戦に否定的なコメントを残して立ち去った。それに対し、大仁田は「10月31日、藤田と戦う!!」とリング上から宣言していた。

 大仁田は、藤田戦を熱望する理由として、全日本プロレス時代の恩師・ジャイアント馬場さん(享年61)とライバルだった、アントニオ猪木(74)最後の弟子が藤田だからだと明かしていた。

 大仁田 全日本プロレスでデビュー(1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄と対戦)し、馬場さんに引退勧告されて(85年1月3日に)引退式を行った後楽園ホールで、猪木さんの最後の後継者と戦うことに意義を感じた。

 大仁田は、9日の試合に藤田を招いた段階で「電流爆破は大仁田の生き様。歴代の横綱(曙)だって高山善広選手だって、電流爆破を目の当たりにしたら、すごいなって言って(リングに)入ってきた」と言い、藤田の“心変わり“に期待していた。その執念が実ったのか、引退試合での藤田戦が、ついに決まった。【村上幸将】