小結大の里(23=二所ノ関)が、初土俵から所要7場所の史上最速優勝を飾った。単独トップで臨んだ1差の関脇阿炎との大一番を、一方的に押し出した。12勝3敗で初優勝を手にし、元日の能登半島地震で傷ついた故郷石川県を沸かせた。新三役での優勝は67年ぶり2人目。殊勲賞と技能賞にも輝き、25年ぶり2人目となる新入幕から3場所連続の三賞受賞と快挙に次ぐ快挙の優勝となった。次の名古屋場所(7月14日初日、ドルフィンズアリーナ)で再び優勝争いに加われば、大関昇進の機運も高まりそうだ。

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仁王立ちした。万雷の拍手を浴びながら、何度もうなずいた。1年前の春まで大学生だった大の里が、早くも頂点に立った。大一番は完勝。阿炎の突っ張りを受けながらも、前に出続けた。技ではない。いまだ未完の大器が圧力だけで勝ちきった。土俵下ではこらえていた涙が、花道で付け人らに祝福されると、こらえきれずにあふれ出た。「15日間、長かったけど、最後に優勝という形で終えられてよかった」。目は真っ赤だった。

転機は小学6年夏。石川・津幡町の故郷を離れる決意をした。全国大会で好結果が出ず、両親に「強くなりたい」と、環境を変える希望を伝えた。アマチュア相撲で石川県の選手だった父の中村知幸さん(48)は「さみしい気持ちもあったけど最後は背中を押した」と中学から新潟・糸魚川市に相撲留学した。

相撲の盛んな地元の石川では当時「裏切り者」との声まであった。コーチとして津幡町相撲教室で指導していた長井恒輝さんは「石川県も津幡町も相撲どころ。『なんで出て行くんだ』と批判的な声は多かった」と振り返った。それでも周囲の声にぶれることなく、新潟で相撲漬けの日々を送った。日体大でアマチュア横綱に輝いた直後、父子は「あのころはつらかったな」と、両国の居酒屋で涙を流したという。

中学から石川県を離れたとはいえ、生まれ故郷への思いは常にあった。元日に起きた能登半島地震。初場所後の2月6日に同じ石川県出身の遠藤、輝とともに被災地を慰問後、実家に帰って両親につぶやいた。「オレたちを見て、みんなの顔が明るくなった。泣いている人までいた。力士には、すごい力がある。力士になって本当によかった。みんなのあの顔を見たら、頑張らないといけない」。傷ついた石川県民に、心から笑ってもらいたい-。それが大の里を強くした。

重圧はあった。終盤戦でトップでも「(優勝は)ないものと思っている」と繰り返したが、本音では優勝を強く意識していた。それが、この日の阿炎戦を前に、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)から「これ(優勝)が目標じゃないぞ」と言われ、目が覚めた。目指すは大関、そして横綱。大一番は通過点であり、勝てなくても将来の糧になる-。「親方の一言で気持ちが楽になった。一番に集中できた」。本来の力が出た。

新入幕から全て優勝争いして3場所目で初優勝。先場所の尊富士に続き、2場所連続の“ちょんまげ優勝”を成し遂げた。来場所も優勝を争えば、大関昇進の機運は自然と高まる。新世代の旗手がこの先、何度賜杯を手にするのか計り知れない。【高田文太】