故つかこうへいさんの代表作「熱海殺人事件」が東京・紀伊国屋ホールで、3月5日まで上演されている。木村伝兵衛部長刑事役に昨年に続いて味方良介、熊田刑事役はノンスタイル石田明。熊田が木村のタバコにライターで火を付けると、木村が「いい火加減だ」と叫ぶ。2人の気持ちが通じ合うラストは、いつ見ても、ぐっと胸に迫る、いいシーンだ。

 「熱海-」は1973年(昭48)に文学座アトリエで初演され、今年で45周年を迎える。74年に岸田戯曲賞を受賞し、76年には紀伊国屋ホールに初登場。木村伝兵衛部長刑事に三浦光一、熊田刑事に平田満、犯人の大山金太郎に加藤健一、警官ハナ子に井上加奈子が出演し、チケットを求めて徹夜組が出るほどの「つかブーム」が起こった。

 私が初めて見たのは79年4月の公演で、木村伝兵衛は風間杜夫、ハナ子は岡本麗に代わっていた。以来、「熱海-」は軽く30回以上は見ているだろう。85年に韓国ソウルで韓国人キャストで上演した時は、稽古取材でソウルまで出掛けた。木村伝兵衛役には多くの俳優たちが出演しているが、阿部寛が初参加したのが93年だった。つかさんはモデル出身の阿部をしごきに近い厳しさで演技指導し、俳優として阿部を一皮も二皮もむけさせた。

 つかさんは出演者が代わるごとに、台本も大幅に変更したが、96年には、大分市に誕生した「大分市つかこうへい劇団」の公演で、女性を主人公にした「熱海-」が生まれた。10年に亡くなるまでさまざまなヴァージョンが上演され、その死後は弟子の演出家岡村俊一氏によって11年から復活上演が始まった。往年のつかファン、つか作品に初めて接するだろう若い人で、客席はいつも熱気がある。

 つかさんは取材に来る記者をとても大事にした。つかさんのエッセーに何回か実名で登場した。結婚披露宴にも来賓として出席してもらったが、その時の会社の上司の様子やあいさつなどに、「林も大変なんだな」と慰められたのが、今でも心に残っている。つかさんの作品には過激な言葉が飛び交うけれど、底流には人を思う優しさがある。

 つかさんの弟子の脚本家長谷川康夫氏が「つかこうへい正伝」という本に書いた、慶大生時代のエピソードが大好きだ。当時、つかさんには恋心を抱いた女性がいた。作家堀田善衛さんの長女で文学部同期生だった。北陸旅行に出た彼女を、つかさんは友人の車で追いかけた。3日ほど行方を捜した末、朝に金沢駅で歯を磨いていると、遠くのホームに彼女が現れた。つかさんはその姿を見つめただけで、「帰ろう」とひと言だけ友人に告げて帰京した。ちょっと気が弱くて純粋な人だった。そんなつかさんの人となりに接して、その作品に出会えたことが、40年近い記者生活で最も大きな喜びだった。【林尚之】