元ピンク・レディーのケイこと歌手増田恵子(65)が17日、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)のコーナー「明治チョコレート効果presentsヒロシと朝から健康ライフ」にゲスト出演した。

ピンク・レディーは根本美鶴代(現未唯mie)とのデュオで1978年に「ペッパー警部」でデビュー。たちまちスーパーアイドルになった。

パーソナリティーの生島ヒロシ(72)にデビュー時の話を聞かれると、増田は「芸名が『白い風船』に決まってたんですよ。その他にも『みかん箱』とか『ちゃっきり娘』とかあったんですけど、その『白い風船』に決まった時、終わったと思っちゃったんですよ。だって、フォークソングを歌うような感じじゃないですか。でも元々はソウルフルな曲を歌いたかったから、まぁもう終わったな~って‥。でも、デビューさせてもらえるだけで、ありがたいよね~って言ってたんです」。

そんなある日、ピンク・レディーのプロデューサーを務めていた相馬一比古氏が事務所に飛び込んできた。「『名前変わったよ。ピンク・レディーになったから』と言われた時に、やった~。これで私たちの人生がグルグル回り出すみたいな。その時は泣きましたね」と振り返った。

生島が「ピンク・レディーって、誰が考えたんですかね」と尋ねると、増田は「(作曲家の)都倉先生(俊一=現文化庁長官、74)です。赤プリ(赤坂プリンスホテル)のバーでお酒を飲んでいる時に、思いついたんですって。“あの2人、白い風船じゃないなぁ。ピンク・レディーはどうかな”って。都倉先生の頭の中に浮かばなければ、私たちはなかったですね」。生島が「風船がしぼんじゃってましたか」とジョークをとばすと、増田は苦笑いした。4月19日にピンク・レディーのDVD6枚組BOX「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」が発売される。増田は来週24日にも出演する。