42歳の誕生日の6月17日に初の新書「独断と偏見」(集英社新書)を刊行した二宮和也(41)が、刊行を前に都内で開いた取材会を取材した。取材前に一読し、驚きを禁じ得なかった。真意を問いたくなり、二宮に直接、問いかけた。
その最大の箇所は「二宮和也」と題した最終第十章にある。23年に一連の性加害問題をジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)が認めた、同社社長のジャニー喜多川氏について「ジャニー喜多川に、誠心誠意をこめて謝ってもらいたい」とつづった件だ。同氏が19年7月に87歳で亡くなってから6年…なぜ、今、ジャニー氏ついて踏み込んだ思いをつづったのか…そんな思いが心の中に湧いた。
ただ「独断と偏見」を繰り返し、通しで読む中で、なぜ、今? ということへの答えが、各所にちりばめられていると感じた。同書は、二宮が09年から19年まで「MORE」で連載した「二宮和也のIt【一途】」担当編集者の野呂望子さんと、24年春から約1年かけて作った。ステージ4のがんが発覚した野呂さんからの打診が、きっかけとなった。毎月1つの4文字熟語をお題に、野呂さんの取材を受け、投げかけられた100の問いに二宮が自分の言葉で答えた内容をまとめた。第一章「心機一転」の取材は同3月23日、「二宮和也」の取材は同12月25日に行われた。
その第十章に掲載された98問目の質問で「いま、いちばん会ってみたい人は? その人から何を聞き、何を得たい?」と聞かれた二宮が「ジャニー」と答え、謝罪を求めている。呼び捨てにして、怒りさえもにじんでくる強い言葉が並んでいたことに、ジャニー氏の一連の性加害問題を受けて、23年10月に独立した二宮が、ずっと心の中に抱えたものがあったことが、痛いほど伝わってきた。
死から6年が経過しようというタイミングで、自著でジャニー氏への思いを語った。出版後、賛否両論が出てくるであろうことは、恐らくは二宮も想起した上で出版に踏み切るのだろうと、読んでいて感じた。「長い付き合い(編集の人)の人間」と紹介したように、担当編集者として10年にわたって真正面から向き合い続けてきた野呂さんの問いかけに心の扉を開き、その向こう側にファンや関心を持つ市井の人々の存在を感じたからこそ、二宮はジャニー氏について語ったのだろうと納得できた。
もう1つ、問いたかったのは、5月6日に来春のコンサートツアーに向けて再始動し、終了をもって活動を終えると発表した、嵐に関する件だ。
第十章で91問目の質問として、取材時点の二宮にとって「嵐のメンバーである意味とは?」と投げかけられ、答えている。「全員の気持ちがひとつになって『やろう』って動かないと、皆が見たいものにも僕らがやりたいものにもならないだろうし」とした上で「『嵐の二宮和也』であることは念頭にある。でも、それをずっと考えているかって言うと、考えていない」と語った。
読んでいく中で、嵐の再始動の発表が、図らずも出版前のタイミングになっただけだろうと受け止めた。よって、ジャニー氏の件同様、一読した直後は内容に驚いたが、なぜ今、このタイミングで語り、出版されるのか、ということに、特段の疑問はなくなった。
それでも真意を直接、問いたい、という思いに変わりはなかった。報じる先にいるファン、市井の人々も二宮の声、語る言葉を聞きたい、知りたいだろうと考えたからだ。そこで、1時間の予定で行われた会見の、開始14分の段階で二宮に以下の質問と、投げかけをした。
「取材を受けた段階で、嵐のことを考えていないと書いた。会いたい人にジャニーさんを挙げ、誠心誠意、謝って欲しいことや、自分のいる会社がなくなったとか、経営陣が入れ替わってしまったから働く意味がなくなったなどと、赤裸々に書いている。この段階で出版する狙い、思いは、どこにあったのか?」
二宮は、すぐに「基本的には、中長期的な計画は、あまりなくて。僕自身も今、考えても、なぜこのタイミングなんだろう? というタイミングで活動を再開している」と、嵐の活動再開について答えた。「誰かが、どうこう決めたタイミングではないんですよね。もう、やるか? みたいなタイミングになって、集まって再開しているので、そこに明確な理由はなかった」とも語った。
一方で「新書は1年かけて、6月17日が誕生日なので出そうよ、と。それしかなかった。動いていたら、こちらからすると、勝手に嵐が再開したみたいな…ビックリはしましたけど」と説明。「仮に(取材の)話をしている時に再開をしていても、同じことは言っていたと思います。タイミングが重なっただけで、狙っていないと言うか…そんなことになっちゃった」と答えた。
その流れで、自ら「別に活動を再開していても、謝ってもらいたいですし…ということは、あまり変わらないかなぁ、というのはあるので」とジャニー氏について言及。「もっと極端な話をすると、向こうの事務所に在籍している時でも、そこは別に変えさせるつもりはなかったですし、普通に書いていたんだと思います」と、独立前の段階で出版したとしても、ジャニー氏に謝罪して欲しいという思いは、しっかり書いていたと断言した。
そこで、二宮に「信頼する担当編集者の方と向き合えたから言えた、というのも、あるのではないか?」と問いかけた。
すると「1年間、話をしてできあがった本でもあるんですけど、その前から、連載ではありますけど十何年、一緒にやっていく中で、野呂さんとの関係値は着実にできあがっていたこと」と認めた。
そして「野呂さんが聞きたいことでもあるけども、後ろには何人もの人が聞きたい人として待機していると思うと、一般的にマイルド化するより、純度高めの方が分かっていただけるのではないか? という考えはあった」と、野呂さんの向こうにファンや市井の人々を見ていたと口にした。
ここまでの二宮の回答は、記者が取材前に一読して受け止めたこと、そして恐らくは二宮が思っているであろうと想像を巡らせたことと、おおむね一致していた。もう少し、踏み込んで質問したかったが、その時点で取材開始から19分が経過していた。1時間という限られた時間を考えても、他の記者の質問時間を奪いたくないと思い、続いて質問する記者に委ねようと考え、質問を止めた。ジャニー氏と嵐に関して直接的な質問を当てたのは、記者が最初だった。
そこから18分が経過した段階で、別の記者がジャニー氏に対して、次のように質問した。
「先ほども少し、お話が出ましたけど、ジャニー氏の名前を出されたのが印象的。名前を出さない…直接、事務所の名前に触れない選択肢もあったと思うし、実際にそうしているタレントも多くいる。なぜ、あえて問題に言及したのか?」
二宮は「基本的に会いたい人って、もう、この世に存在していない人の方が多くて。存在していたら、どこかで会えるんじゃないかと思っていたので、誰だろう? と考えた」と当時を振り返った。その上で、ジャニー氏について語った。
「この本を作る、きっかけとまでは言わないけれど大元にいた人なので。あの人が、人様に迷惑をかけずに生活してくれていれば、僕がずっと所属していた事務所はなくならなかったし、僕がこういう道をたどることもなかっただろうし」
「でも、あいつは何も言わないんだよな、何だかなというのは、ずっと(思っていた)。世間様で言われたようなことがあったこととは別軸で、そう思っていた。謝られたことがないので、謝ってもらおうというふうに話したんだと思う」
二宮が語る間、各記者がパソコンのキーを打つ音が会場全体に響き渡った。
「僕自身(ジャニー氏とは)生きている時からケンカも言い合いもするし結構、自由に発言していたタイプ。完全に偏見ですけど、そう(謝罪)してもらいたいタレントは、いっぱいいたんじゃないかなと。多分、言えない人たちもいるし、言いたくない人たちもいるだろうし。すごくセンシティブだと思ったけれど、この問題のセンシティブさは、そこまで僕にはなかった。だから質問ベースとしてお答えした形」
同じ記者が、続けて「もし実際、会えたとして、どういう言葉をかけたいか、ジャニー氏はどんな答えを返すと思われますか?」と質問した。
二宮は「謝るんじゃないですか? そういう、ある種のピュアさがあったからこそ集まった、大きくなった会社、タレントたちだと思う。そういう自由さを与えた人、社風だと思う。謝ってもらいたいですし、世間様で言われている問題に対しても謝っていただきたい」と答えた。
最初に質問した際、踏み込みたいと思いながら、会見の残り時間を考えて止めた、さらに踏み込んだ質問を他の記者が問いかけてくれた。この時点で、記者の頭の中で書く方向性は決まった。それが、二宮の誕生日前日の16日に日刊スポーツ本紙とウェブに掲載された原稿になった。
これまで、二宮を取材する機会は幾度かあった。それは、国民的グループ・嵐のメンバーとしてではなく、映画俳優としての二宮だった。時に軽やかに、またある時には猛烈に重く…役どころによって、多彩な色を放つ芝居にほれ、撮影現場に足を運んだ。
その際に交わした短い会話、囲み取材、インタビュー…全てにおいて二宮は思慮深く1つ、1つの言葉を大切に、記者の目を見て話した。「独断と偏見」は、そうした二宮の思いが詰まった結晶だと記者は考える。
「独断と偏見」について書いた原稿が表に出てから1週間後の24日、都内で開かれた二宮の主演映画「8番出口」(川村元気監督、8月29日公開)の試写会に足を運んだ。5月のカンヌ映画祭(フランス)のミッドナイト・スクリーニング部門に出品された作品で、アジアでは初の劇場での試写となった。
二宮は同作で、8番出口を求めて迷う男という名もなき役を演じる一方、脚本協力としても参加している。撮影前から打ち合わせし、撮影中の脚本の直しにも加わり、撮影後の編集にも足を運び、川村元気監督と脚本の平瀬謙太朗氏と意見交換したという。同監督は、二宮が「自分はゲームのテストプレーのプレーヤーみたいなことをやらされた」と自虐的に語っていたと明かした。
スクリーンの中にいる名もなき男は、時に無感情のようであり、時に阿鼻(あび)叫喚と言っても過言ではないほど、のたうち回る。表現者としてのチャンネルが全開された二宮を見た思いだった。そんな二宮を、もっと取材したくなった。それは「独断と偏見」で心中の深い部分を垣間見て、取材会でそこに踏み込んだことと、無関係ではないだろう。【村上幸将】



