俳優佐野史郎(71)が、ロックバンドBOW WOW/VOW WOWのギタリスト山本恭司(70)とのユニットで2007年(平19)から続ける朗読公演「小泉八雲朗読のしらべ『思ひ出の記~セツが語ったヘルンの怪談~』」が来月16日に東京・有楽町のアイマショウで行われる。島根・松江出身の佐野と山本が、松江を愛した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻セツの物語を中心に、怪談と音楽を融合させたステージを届ける。佐野に聞いた。3回連載の1回目。【小谷野俊哉】
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松江で育った佐野にとって、八雲は郷土の歴史に深く根付いた人物だ。
「小泉八雲という名前より、僕の中では“ヘルンさん”が先なんです。僕は昭和30年(1955)生まれですが、36年までは東京にいました。父の実家がある松江に転校してきたのが、小学1年生の3月ごろ。学校の先生との話でも、家族で食事をしている時でも“ヘルンさん”という名前が時折出てくるんです。子供心に『誰なんだろう』と興味を持ったのが最初でした」
当時は英語教師として松江にやってきた外国人という認識だった。その後にラフカディオ・ハーン(へルン)、小泉八雲という名前を持った「怪談」を書いた作家であると知った。
「子供は童話を読んだり、怖いものに興味を持ったりするでしょう。『雪女』や『耳なし芳一』なんかの話を何となく聞いて、小学校高学年になると少年少女向けの本や絵本で読んだりしていました。外国から来た“へルンさん”が、日本に伝わる話を掘り起こしたんだという思いは、子供の頃からありました。僕ら日本人が、小泉八雲を通じて、逆に日本のことを教えてもらうようなところがあるんですよね」
ギリシャで生まれ、アイルランドで少年時代を過ごし、アメリカでジャーナリストとして活動した後、1890年(明23)に40歳で来日した八雲。松江で英語教師をしながら、日本の風習や精神文化を独自の視点で捉えた。
「ギリシャで生まれ、アイルランドを経て、アメリカではジャーナリストとして筆一本で生きてきた。日本に興味を持ち、古事記も読んでいますから、その辺の日本人よりも日本の歴史について詳しかったかもしれません。博物学者としての一面もあり、文化への興味は尽きることがなかったんじゃないでしょうか。それまでのヨーロッパの日本研究者と比べて違うのは、やっぱり見下していなかったということですね。本当にリスペクトして、日本人の目線に降りてきて、感覚を共有しようとしていた。そういう姿勢があったと思います」
キリスト教を中心とした、西洋の一神教的な価値観とは異なる、日本の多神教的な世界観に八雲は関心を寄せた。
「多神教が劣っているという考え方が、それまでの研究者に比べてなかった。もちろん、八雲自身にもさまざまなコンプレックスはあったでしょう。ギリシャとアイルランドという、その地に根差した多神教のある両方の血を引き、自分は何人なのか、アイデンティティーはどこにあるのかという問題もあったと思います」
異なるさまざまな文化の間で生きてきた八雲には、日本人の心や歴史を理解しようとする姿勢があった。
「日本の文化や歴史を心底理解しようとしていたからこそ、出雲大社の本殿まで入ることが許された。今でも、簡単にできることではありません。それほどよく勉強して、日本人の心を理解しようと望んでいたんじゃないでしょうか」
八雲は日本に伝わる物語を、そのまま外国語に置き換えただけではなかった。18歳年下の妻セツから聞いた話や古い文献をもとに、新たな作品を書いた。
「セツさんは語っていた怪談のネタがなくなると、古本屋に行って、江戸時代の雑誌や百物語などの史料を探して、自分の言葉で語り直して聞かせていたようです。それをもとにしながらも、あくまでもラフカディオ・ハーンのイマジネーションによって、新たな作品が生まれていった。日本古来の歴史やアニミズム(精霊信仰)の尊さを、僕らが逆輸入の形で知ることになったんです」
八雲は、日本人に日本文化を再発見させてくれた。
「一度、異邦人のまなざしで見ることで、日々の当たり前の光景がすべて新鮮に捉えられる。僕自身、八雲のまなざしから学んだことは多いですね。今、シティーポップのブームがありますよね。アメリカやヨーロッパの人たちが、日本の70年代のレコードを探して聴いている。でも、僕らにとっては当たり前に聴いていた音楽だったりする。日本のプレーヤーは、当時からレベルが高かったと思います」
海外から評価されることで、日本人自身がその価値に気付く。八雲も同じ役割を果たした。
「日本人には、卑屈とまではいかなくても、謙虚なところがある。こんなものかなと思っていたら、外から来た人がすごく褒めてくれて、そこで初めて気付くことがあるんですよね。外に向けて作ったものではなく、自分たちのものとして作った方が、土地になじんでいるし、言葉も音も正直で、うそがない。表面だけデコレーションしてごまかしたものではないから、海外の人たちも気付くんじゃないでしょうか」(続く)
◆佐野史郎(さの・しろう)1955年(昭30)3月4日、島根県松江市出身。山梨で生まれ、東京を経て、6歳の時に松江へ。74年、シェークスピア・シアター創設に参加。80年、状況劇場へ。86年、林海象監督の「夢見るように眠りたい」で映画初出演で主演。92年、TBS「ずっとあなたが好きだった」。93年にTBS「誰にも言えない」、NHKのドキュメント「ウルトラマンを作った男」、映画「ゲンセンカン主人」主演。07年から「小泉八雲・朗読のしらべ」。18年、フジテレビ系「限界団地」で連続ドラマ初主演。175センチ。血液型B。



