6月23日は沖縄終戦の日。今年も東海テレビの取材で、その10日ほど前に那覇を訪ねた。
最初に足を運んだのは7年前に火災で消失、今年秋には復元した姿が公開される首里城。古文書の分析などで琉球王国時代の姿に、より近づいたとされる完成間近のお城の、それはそれは美しいこと。
ただ今年の私たちの取材の目的は、この首里城の地下に南北370メートル、全長1キロにわたって張り巡らされている旧日本軍司令部壕(ごう)と、長年この壕の公開を訴えている瀬名波榮喜さんにお会いすることだった。
先日の台風による倒木が遮る急な斜面を下った先にあった第5坑口。一番保存状態がいいとはいえ、中は立ち入り禁止。この壕では、本土決戦を遅らせる砦(とりで)として1000人もの兵隊がひしめいていたが、最後は散り散りに南部に逃げ、兵士と民間人の区別がつかなくなった米軍の無差別攻撃で9万人もの県民が犠牲になった。
瀬名波さんは終戦時16歳。県立農林学校生のとき、鉄血勤皇隊として飛行場造りに従事。逃げ惑った末、山の中で米兵に捕まった。
後に琉球大学の教授になり、当時同僚だった大田昌秀元沖縄県知事(故人)から、やはり鉄血勤皇隊員として日夜、土を運び出した司令壕を「残すのが私の悲願」と協力を頼まれ、以来30年、保存と公開を訴えてきた。
首里城守礼門の前でお会いした瀬名波さんは過去5回も焼け落ちながら、また新たに歩み始める首里城と、その下を縦横に走る司令部壕。米軍が「この世の地獄をすべて集めた」とまで表現した沖縄戦。その未来と過去が、この場でしっかり交わってくれたらと言う。
「沖縄戦の体験者がどんどん減っていく。そうした中で、永遠の語り部になるのは司令部壕以外ない。それが私の考えです」
瀬名波さん、今年98歳。保存される司令部壕は人間回復の砦。そして物言わぬ永遠の語り部-。いま自らの思いを託そうとしているように思えてならなかった。
◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「ニュースONE」などに出演中。


