お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎(40)が初めて描いた漫画「大家さんと僕」で、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。漫画家以外が同賞に輝いたのは初めて。東京都新宿区で暮らすアパートの大家さんとの心温まる交流を描いて、昨年10月の初版以来、30万部を超えるほどの人気ぶりだ。贈呈式は7日、都内で行われる。
「大家さんと僕」は、トホホな芸人の「僕」(矢部)と、一風変わった1928年(昭3)生まれの大家のおばあさんとの、8年前からの交流の日々を描いた4コマ漫画。「ごきげんよう」とあいさつし、世話好き。階下からよく矢部に電話もかけてくる。
オートロックで、隣室の人の顔も知らない今の時代では、考えられないだろう。昭和の時代に地方から東京の大学などに進み、下宿生活を送った人には、「こんなほっこりした話、あったよね」と懐かしくなるエピソードの数々が描かれている。
きっかけは「女帝」「夜王」などの漫画原作者である倉科遼氏と、3年前に偶然会ったことだった。「新宿伊勢丹に一緒に買い物に行く」「鹿児島の知覧を一緒に旅した」「疎開先から送られてきたおやきをおすそわけしてもらった」など、矢部と大家さんの関係に感動した倉科さんから、「映画化しよう。原案を書いて持ってきて」と言われた。矢部が漫画で描いて持参したところ、倉科さんに絶賛された。20ページほど描いて出版社に持ち込み、16年4月号の小説新潮で連載が始まった。
小さい頃から絵は身近な存在だった。父は、絵本作家のやべみつのり氏。「絵や紙、書く道具などが豊富にありました」と振り返る。当然、漫画も身近で大好き。週刊誌や単行本など、何でも読んだ。
描くのも苦にならなかった。「表現手段として、漫画には可能性がある」と感じた。積極的に描こうと思った。
矢部にとって「大家さんは記憶力がよくてユーモアがあり、今までに出会ったことのない人」。話の大半は歴史上のことで分からないため、あとで検索して調べるという。「読んだマンガは『フクちゃん』や『のらくろ』という人ですから」と笑う。そんな話題のギャップと絶妙な距離感、矢部の戸惑いが題材になる。
「まさか自分がもらえるとは思わなかった」という、手塚賞。大家さんに報告したら、「大きなお仕事をされましたね」とねぎらってもらった。
手塚治虫ファンクラブにも小さいころ、入っていた。「手塚先生の線の躍動感、映画的な表現、ヒューマニズムあふれる物語が好き」と言う。追い求める漫画の理想と、今の場所にずっと住むという現実の理想を重ね、続編も描いている。
ビートたけしは、北野武監督として映画でも有名になった。「火花」で芥川賞作家になった又吉直樹、「架空OL日記」で向田邦子賞をもらったバカリズムもいる。カラテカがマンガカ? 異彩を放つお笑い芸人がまた1人、現れた。【赤塚辰浩】
◆矢部太郎(やべ・たろう)1977年(昭52)年6月30日生まれ、東京都東村山市出身。東京学芸大教育学部除籍。97年から芸能活動開始。お笑いコンビ・カラテカ(相方は入江慎也)のボケ担当。舞台やドラマ、映画などで俳優としても活躍中。気象予報士でもある。独身。今も新宿区にある大家さんの家の2階に住む。