スポーツや生活情報、バラエティー番組にピリッと薬味を利かせるラジオニュース。取材、報道する記者はどんな人で、どんな取材をしているのか。新聞やテレビとどう違うのか。「オトナのラジオ暮らし」第2回は、森喜朗・東京五輪・パラリンピック組織委員会会長(当時)の女性蔑視発言を会見で追及。会長辞任への流れを決定づけたともいわれるTBSラジオの澤田大樹記者(37)を直撃。専門家の話も交えて、ラジオニュースの過去と現在、これからについて深掘りします。【取材・構成=秋山惣一郎】
-森喜朗さんの会見で注目されました
あの日は衆院予算委員会を取材するつもりだったんです。森さんの会見は別の誰かが行くんだろうと思ってました。でも「Session」という番組のスタッフと話して、私が急きょ、行くことになった。別に森さんのクビを取ってやろう、なんて意気込んでいたわけではありません。
-会見はどんな流れでしたか
会見場には組織委員会担当の都庁記者クラブの記者のほか、外国メディアや夕刊紙、ウェブメディアの記者がいました。会見って「流れ」があるんです。みんなが聞くだろうという質問は、記者クラブの記者が聞いてくれるんで、私は、その流れを見ながら「ここが穴だな」「取りこぼしてるな」と思ったポイントを突いていく。森さんの会見では、都庁クラブの記者が、女性登用の目標について「文科省がうるさいから」やっているとの認識かなどと、芯を突いた質問を重ねていました。その上で、私や夕刊紙の記者が、さらに聞いていくという流れでした。
-澤田さんの「自身は会長職に適任か」という質問が特に注目されました
私の質問に対して、森さんは「あなたはどう思うか」と質問を返してきた。だから私は「適任じゃないと思う」と答えた。会見で記者は意見を言うべきでない、という批判も受けました。でも「どう思うか」と聞かれたので答えただけで、別に悪かったとも恥ずべきだとも思ってません。もちろん会見で質問するのが仕事ですが、記者が意見を言うべきでないとは考えてません。
-この会見後、ツイッターのフォロワーが1万人増えたとか
びっくりしました。私は政治家の懐に飛び込んで政局の機微を聞き出すといった取材は得意じゃないので、オンレコの会見で聞くべきことをちゃんと聞くという姿勢を大切にしています。森さんの会見も毎日の取材でやろうとしていること、やっていることです。
-ラジオニュースの記者として心がけていることはありますか
ラジオは音声だけなので、記者がカメラにもなる。画(え)がない分、語りで画を足していく。会見場の雰囲気、会見する人の手元の動き、見出しになる発言の前後のやりとりなど、カメラに映らない部分を伝えています。そこを意識するようになったのは、東日本大震災の取材でした。福島県いわき市からリポートした際、あまりの惨状に圧倒されて「言葉になりません」と言ったら、スタジオの外山惠里アナウンサーが「言葉にしてください。ラジオですから」と。テレビは画面から伝わるものが大きいけど、においや触感、空気感まで、五感を使ってリポートするのがラジオなんだ、と学びましたね。
-現場での取材ができないケースでは?
私はTBSの(ラジオニュース)という枠で首相官邸の記者クラブに加盟していますが、参加できる会見とそうでない会見があります。昨年12月、「桜を見る会」前夜祭を巡る問題についての安倍晋三・前首相の会見には入れませんでした。自民党の記者クラブ加盟社1社1人に制限されていたからです。放送では、会見が制限つきであること、主に質問したのは新聞2社で、テレビはほぼ沈黙していたこと、会見には自民党の職員や安倍政権時の内閣広報官もいたことも報じました。オンレコの会見で勝負させてもらえないなら、裏側を報道する。新聞やテレビとは違う視点、切り口。ラジオだからできることだと思います。
-1人で取材しているのですか
政治部系は私、社会部系はベテランの崎山敏也記者とざっくり担当を分けています。私は与野党、官邸、国会とすべて1人で受け持っています。番記者の輪には入れません。でも自由に取材できるメリットがある。1人で取材しているということも含めてリスナーに支持されているところもありますしね。人員は限られていますが、これからもリスナー代表として、取材対象にきちんと質問し、放送に乗せるという基本を守って取材を続けます。
◆澤田大樹(さわだ・だいき) 1983年(昭58)、福島県生まれ。09年、TBSラジオ入社。「森本毅郎スタンバイ!」などのディレクターを経て、TBSテレビへ出向。政治部記者、「サンデーモーニング」ディレクターを担当した。18年からラジオニュースの記者専属に。現在「荻上チキ・Session」(月~金曜午後3時半~)で日々のニュースをリポートするほか、金曜の「アシタノカレッジ」(午後10時~)では、1週間のニュースをライターの武田砂鉄さんと振り返るコーナーに出演している。3女の父。高校演劇やクイズなど多彩な趣味を持つ。
<逆ギレ会見>
日本オリンピック委員会臨時評議員会で女性を蔑視する発言をした森喜朗・東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長(当時)が2月4日、釈明の記者会見を開いた。会見に出席したTBSラジオの澤田大樹記者の質問に森会長は冷静さを失い、約20分の会見は後に「逆ギレ会見」と呼ばれ、会長職辞任の引き金になったと言われる。
<メディア論 砂川浩慶・立大教授に聞く>
ラジオのニュースにはどんな歴史があり、現在はどんな問題を抱えているのか。メディア論が専門の砂川浩慶・立教大学教授に聞いた。
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電波メディアの報道は民放ラジオから始まったと言っても過言ではない。民放ラジオが続々と開局した1950年代は、NHKも報道部門の態勢が整っていなかった時期だ。電波による報道の先駆けだったと言える。
ラジオには戦時中、国策宣伝機関と化して、戦争遂行へ世論を誘導してきた苦い歴史がある。その反省から、当時のラジオ人(多くが、新聞社やNHKから移ってきた人だった)は、当局の発表に偏らない報道への意識が強く、連合国軍総司令部(GHQ)の支配、検閲にも抵抗感があった。戦争を経験した民放ラジオのDNAには、自由な報道、番組制作への志がある。それが戦後生まれのテレビとの違いだ。
2月、TBSラジオの記者が、森喜朗・東京五輪・パラリンピック組織委員会会長(当時)の会見で、女性差別発言について追及し、辞任への流れを作った。新聞やテレビと違う、取材対象との距離感を持つラジオ報道の意義を示した例だと言える。経営の苦しい中でも、民放ラジオ各局が報道記者を配置し、他のメディアと違った視点で問題を報じようという姿勢も評価できる。だが、ラジオ報道の現状には、歯がゆい思いも持っている。
かつてのように音楽やスポーツ中継をラジオで楽しむ時代は終わって、「トーク」が主流になっている。そのトーク番組の現状は、カルチャーやバラエティーの軽い話題が多く、ニュースを扱う番組は撤退したり、リスナーの生活時間を無視した編成に置かれたりしている。新型コロナウイルスや五輪の問題に多くの人が関心を寄せている今、政治や社会について深く考え、議論するトーク番組へのニーズは必ずある。テレビにはできない、スキャンダラスな手法があってもいい。新たなスポンサー開拓にもつながるだろう。
民放ラジオ局の経営、編成幹部には、リスナーときちんと向き合わず、金をかけない安易な番組制作に傾き、面倒な報道番組から逃げている印象すら持っている。戦後の民放ラジオ誕生時の原点に立ち返り、報道を深化させた「トークラジオ」の時代をつくる時だと思う。