ニッカン鉄道倶楽部

日本を支えた夕張支線、120年の歴史にピリオド

新千歳空港への分岐となる千歳線南千歳駅のホームに立つと、あらゆる列車がやって来る。空港行きはもちろん、函館行き、室蘭行き、そして帯広へと向かう石勝線。多くの特急列車、札幌都市圏である南千歳には通勤、通学の電車も数多く行き交う。そんな豪華メンバーの中、ひっそりとやつてくるキハ40(※1)の単行(1両での編成)が、かえって異彩を放っていた。お隣の千歳駅から夕張へと向かう普通列車だ。


3方向への分岐がある南千歳駅(美々駅は現在廃止されている)
3方向への分岐がある南千歳駅(美々駅は現在廃止されている)

石勝線は南千歳から帯広、釧路へと向かう路線で、多くの特急も運転されている。すべてが札幌始発。夕張へは石勝線の新夕張駅から分岐する支線を行く。わずか16キロの支線内は普通列車しか走っておらず、札幌への直通列車もない。これが3月いっぱいでの廃線を前にした夕張支線の姿である。石炭を運ぶためにレールが敷かれたのは明治時代の1892年。日本を支えた路線が120年以上の歴史にピリオドを打つ。(本文中の表記は主に2014年のものです)


夕張行きのキハ40(追分駅で=2014年8月)
夕張行きのキハ40(追分駅で=2014年8月)

夕張駅は、かわいい西洋風の駅舎だった。写真で見た通り。以前と違って駅舎の姿はもちろん、構造どころか駅前にタクシーがいるかどうかも含めてネットで情報が得られる。駅を降りると目の前にホテル。屋台村があって、コンビニもある。ちょっと安心して宿泊するホテルへ歩き始めたが、安堵(あんど)感が後悔につながるとは思ってもみなかった。

このかわいい駅舎。とてもじゃないが120年以上前に建てられたものではない。現在の夕張駅は3代目である。駅舎が変わったのではなく、駅そのものが引っ越したのだ。初代の駅は石炭輸送に便利なように、街の中心から、さらに山に入った所にあった。昭和の終わりごろ、石炭輸送の役割が終わると乗客の利便性を考えて街の中心部に引っ越した。

ここまでは十分うなずける話だが、問題はそこからだ。新しくできるスキー場&ホテルへの観光客誘致のため、2代目の駅はわずか5年でお役御免。初代とは逆サイドの街外れへと移転してしまう。つまりそれが現在の駅舎だ。


夕張駅に停車中のキハ40(2014年8月)
夕張駅に停車中のキハ40(2014年8月)

「夕張市街地」の看板通りに歩き始める。すぐにエゾシカの親子と遭遇。なかなかのんびりしたムードでいい感じだ。だが、その直後に後悔に襲われる。街の中心部まで徒歩15分程度を見込んでいたが、こんな坂道だとは思っていなかった。8月末の北海道だったが、暑いこと暑いこと。エゾシカの親子は涼しげな表情だが、こちらは汗ダラダラ。ようやくホテルに到着しての第一声は「なんでこんなに歩くの?」だった。

過去何度も夕張を訪れようとしたが、その度に断念していた。理由は簡単。ダイヤが薄いから。札幌から夕張へバスという手段もあるが「鉄オタ」を掲げる者が、なかなかそんなわけにはいかないだろう。しかし限られた休暇の時間でいろいろな行事を詰め込もうとすると、夕張へ向かうことはできても、それだと戻って来ることができない。


夕張駅の車止め(2014年8月)
夕張駅の車止め(2014年8月)

当時と現在では若干ダイヤが違うが、1日5往復というのは、ほぼ変わっていないはず。札幌方面から夕張へ向かうには、今回のようにキハ40の単行に揺られれば問題ない。では復路はどうするのかというと、時刻表とにらめっこし続けても、かなり「アカン」のだ。

訪問時は石勝線で新得へと向かい、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の幾寅駅を訪れる計画だった。夕張から新得へと向かうには夕張支線の分岐駅である新夕張で乗り換える必要があるが、この接続が時間帯によっては、おそろしく悪い。新夕張には停車する特急(※2)と停車しない特急があるが、接続するであろう時間帯が通過(ちなみに新夕張~新得間は特急しか走っていない区間である)だったり、ならば逆方向へ向かって南千歳から折り返そうとすると、ひとつ手前の追分止まりだったりと、言い方は悪いが、まるで「鉄道を使って夕張に来るな」と言われているようなダイヤだった。ということで幾寅駅は断念して夕張で宿泊することにした。


夕張駅の駅舎(2014年8月)
夕張駅の駅舎(2014年8月)

その夕張でのお出迎えが、エゾシカの親子と噴き出る汗である。「あー、そのコースで来ると大変なんですよ」。フロントの方が教えてくれた。市役所の裏手を通ると平らな道で行けるという。翌日歩いて分かったが、おそらくそれが線路跡だったのだろう。

夜は夕食に苦労した。ホテルで教えてもらった居酒屋は、たまたま休みで入れず。ならばコンビニでビールと食べ物をと思ったが、コンビニは駅前で見たものが最後だったのだ。駅に行けばコンビニも屋台村もある。少し歩き始めたが漆黒の闇を15分かけて歩く気力もなく、ようやく見つけた1軒の居酒屋で食事にありつけた。


翌朝は接続の関係で朝早くホテルを出る必要があったため、周囲の散策もできなかった。夕張市の政策の失敗については、いろいろな検証が行われている。私は政策の専門家ではないので何も言うつもりはないが、少なくとも、わざわざ駅を街外れに移転させて住民に不自由を強いることが間違いであることは、よく分かった。そもそもこのダイヤで、どれほどのスキー客と観光客が来たのだろう。またそれ以外の観光客をどれだけ呼び込めると考えたのだろう。


ゆうばり映画祭で知られる夕張の街には映画のさまざまなオブジェがあった(2014年8月)
ゆうばり映画祭で知られる夕張の街には映画のさまざまなオブジェがあった(2014年8月)

今回、夕張市の方から申し出るという異例の形で廃線が決まった。鉄路が失われる代わりにバス体系を充実させることを目指し、JR北海道が無償で用地を提供し、費用として7億5000万円を拠出することで決着。120年以上の歴史にピリオドが打たれることが決まった。実際に行った者として、やむを得ない決断だという気もする。確かに現在の環境では住民の方も不便だし、夕張市内の他の観光地に向かうのにも不便だ。

ただ観光で向かう人々にとって駅という指針は大きい。駅があれば間違いなくその場所へ連れていってくれると考える人が多いからだ。バスが鉄道を圧倒している観光地もあるが、そこに共通するのは空港やターミナル駅からの直行便だ。飛行機利用の多い北海道の場合、空港からの導線確保は必須だと思う。また街の玄関口からどうやって観光客を誘導するのかも重要だ。どこに行っても列車に揺られてばかりで、ほとんど観光などしない私も「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地には行ってみたいと思っていた。もちろん初代夕張駅にも行きたかったが行けなかった。車がないとどうやって行ってよいか分からなかったからだ。観光地だけではない。食も含めた導線は必要だ。


夕張を出発するキハ40。追分止まりの運行に悩まされた(2014年8月)
夕張を出発するキハ40。追分止まりの運行に悩まされた(2014年8月)

もともとは夕張線として札幌からの直通列車も優等列車(※3)も走っていた。帯広への短絡線となる石勝線ができたことで、いわゆる盲腸線に「格下げ」されて今回使命を終える。平成の声を聞く前に廃止となった大夕張鉄道との接続駅だった清水沢駅のレールのない広い構内がかつての繁栄をしのばせていたが、それもなくなる。16日から廃線となる31日までの最後の2週間は、廃線を惜しむ人々のために1日8往復を走らせる。3月号の時刻表を見ると、新夕張での接続も良好なようだ。ただし時刻表の欄外には「新夕張~夕張間は平成31年3月31日(日)限りで鉄道営業を終了します」と記されている。【高木茂久】



(※1)国鉄時代に大量に生産された気動車。改良型も含め、現在も全国各地で走っている。

(※2)新夕張~新得間は特急しか走っていないため、この区間のみの乗車の場合は特急料金が不要となる。

(※3)別料金が必要となる急行列車、特急列車のこと。JRの場合、快速は優等列車とならない。

鉄道ファン歴40年以上の筆者が現役路線から廃駅、廃線跡まで秘蔵の写真とともに鉄道の魅力を語る。「あなた、切符を買うとき損していませんか」。旅する際のお得情報も。

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